<政治家たちの「意図せぬ政治のエンタメ化」>民主・岡田代表「日本人を乗せた米艦が攻撃された時は警察権で対応」はもはや「ネタ」


藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

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政治の現場で社会の関心を引くための手法にゴシップが利用される場合は多い。

特に論争や政争の場外乱闘として、国民生活にはおよそ無関係な劇場型のゴシップを政党や政治家が針小棒大にリークするパターンなどでは、「馬鹿にするのもいい加減にせよ」と言いたくなってしまうのは筆者だけではないはずだ。

しかし、そのようなこと以上に危険なことがある。それは、政治家たちの「意図せぬ政治のエンタメ化」だ。近年で言えば2009年の民主党・蓮舫議員の「(スーパーコンピュータ開発についての)2位じゃダメなんでしょうか」発言がそれにあたる。

蓮舫氏本人からしてみれば、カッコよく事業仕分けを差配している勇姿を見せた「イケてる発言」のつもりであったのだろう。しかし、ちょっと冷静に考えてみれば、「2位じゃダメ発言」は日本の国際競争力を貶め、国際的地位をも揺るがしかねない非日本人的な現実感覚のない戯言であることは誰に目にも明らかだ。

ノーベル賞受賞者やオリンピック選手の前でも、その発言はできますか? と、誰でも軽いツッコミを入れたくなる。しかし、それは誰もが感じていたことであるようで、学会・政界からの正当な批判だけでは収まらず、ネット界隈の下世話なエンターテインメントとして、面白おかしく拡散され、やがてそれは「お笑い・茶化しの鉄板ネタ」になっていった。

グーグルに「2位」と入れると、入力候補に「2位じゃダメなんでしょうか」と表示されてしまうぐらいにそれは浸透している。言動を茶化したコンテンツは未だにネット上にあふれている。エンタメのネタとしては相当に寿命が長い。

他にも、政務調査費の不正利用を追及された記者会見の場で突如、号泣した地方議会の「号泣県議」も記憶に新しい。こちらも蓮舫氏同様、その様子の動画やテレビ番組のキャプション画像などがネットからは消すことのできない「鉄板ネタ」として残り続け、拡散し続けている。

最近であれば、7月10日に開催された安全保障関連法案を審議する衆議院の特別委員会での民主党・岡田克也代表による「有事の際、日本人を輸送する米軍の船が攻撃を受けた場合に日本は警察権で対応すべき」という発言だ。

一見すれば、「集団的自衛権に反対する民主党としての対案」という風にも見える。しかし、ちょっと冷静になれば、それがいかに荒唐無稽な空論であり、想像するとおもわず吹き出してしまうような笑い話であることがわかる。

山火事の鎮火に、バケツリレーで対応しようとしている自衛隊員を想像してほしい。これと同じだ。

敵からの攻撃を受けた状態で、邦人救出を「警察権」で対応しようとしているのである。相手はミサイルを備えた軍艦や攻撃機なのに、だ。しかも襲撃をしかけているわけだから、相手の戦意も満点だ。

もし「有事対応を警察権で」という主張を本気で思っているのなら、ヘルプされる米軍だってむしろ迷惑だ。救助グッズを持たずに丸腰で震災救助のボランティアに駆けつけて、かえって迷惑になっている「勘違いな人」のようなものだ。

こんなことを、野党第一党の党首が、正規の国会の場で真顔で主張しているのである。面白くないはずがない。岡田氏の「警察権で有事対応」は間違いなく、蓮舫発言や号泣県議に次ぐ、エンターテインメントになる可能性を秘めているように思う。

この岡田発言に対する安倍首相の「ミサイルに対してピストルで対応するようなもの」という反論。この当たり前な返答(ツッコミ)によって、岡田氏の「ボケ」は完全に「ネタ」として完成してしまっている。安倍首相にその意図や悪意はないにせよ。

蓮舫氏や岡田氏の発言・挙動は、それがどのような意図であったかはさておき、本人の意思とは無関係に「面白ネタ」「鉄板ネタ」となってネットのいたるところに拡散してゆく。特に「ボケ的行為」にもかかわらず、本人たちが真剣に取り組んだり、発言している様は、コントや漫才でのネタと同様に鉄板だ。

結果的にそこらのお笑い芸人には真似できない「高度なネタ」になってしまってさえいる。玄人も太刀打ちできない究極の「素人芸」だ。さらに、硬軟織り交ぜ、方々からたくさんの「ツッコミ」があったことも、ネタの鉄板化をより強固にしてしまっている。

もちろん、これらはいづれも本人たちは劇場型政治パフォーマンスを装ったわけでも、タレント議員然としてのリップサービスをしたわけでもないだろう。しかし、結果的には自らが意図しない形で「政治のエンタメ化」を邁進させてしまっているのだ。

しかし、このような「本人が意図しない政治のエンタメ化」は本来、非常に危険なことだ。(結果的に悪であれ)本人に悪意がないだけに、そのボケを真顔で主張しているシーンがマスコミを賑わせ、いたずらに民意を歓喜させる。「真顔でボケてる権力者の素人芸」ほど面白いものはないからだ。

その一方で、政治と政治家の立ち位置は、民意を代弁する頼もしい「政治家先生」から「無能なバカ殿」という印象へと地盤沈下させる。「政治家などは、こんなやつばかりだ」という虚無感も生む。もちろん、政治家・政治への信頼感も低下する。

「大政党の候補者ならどんな奴でも当選するんでしょ?」といったような選挙無意味感も醸してしまう。そして結果的に政治不信も累積する。政治への参加意欲もますます低減してしまうわけだ。

さらに、そういった政治家たちの挙動に反発したり、批評するオピニオンや評論・論争が面白おかしく乱発され、本来の重要な政治案件や政治議論を見えづらくしてしまう。例えば、蓮舫氏が何かを受け答えする度に「こちらは2位でも良いですか?」などと、茶化した質問をするレポーターなどが生まれてしまうのだ。

このような現象で一番問題なのは、蓮舫氏しかり号泣県議しかり岡田氏しかり、本人が意図していないにもかかわらず、自らの言動が「国民的なエンタメ」になっている、という点だ。意図していないだけに悪質だ。

お笑いやコントでは、「真顔のボケ」が面白い。「偉い人(権力者)のボケ」はさらに面白い。「ミスター・ビーン」のように、それが真にせまった「真顔」であればあるほど、その面白さは爆発的だ。その爆発力に反動するように、政治と政治家への信頼と期待は薄まってゆく。

一視聴者、一庶民として、こういった下らない政治ショウを一時の娯楽として楽しむことはできる。下世話だが、メディアの楽しみ方としては「アリ」なのかもしれない。しかし、一度楽しんだ後は、頭を切り替え、目の前の現象を冷静に見て、その言動を正しく理解するように努めるべきであろう。

蓮舫氏も号泣県議も岡田代表も…彼らの挙動はネタでも芸でもないからだ。

政治家による意図せぬ政治のエンタメ化は、私たちに意識させることなく、知らず知らずのうちに、政治や政治家への希望や期待を失わせる、いわば麻薬のようなものだ。

もちろん、有権者が希望や期待を持てるような政治家が登場してくることこそ重要なのかもしれない。しかし、その一方で、時代の流れは変わらない。今後ますます、意図せぬ政治のエンタメ化は進むはずだ。

だからこそ、政治をエンタメ化させ、いたずらに政治や政治家への希望を低減させ、破壊するような政治家たちの言動に対するリテラシー能力がすべての国民に求められる時代であるように思う。

 

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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『だからデザイナーは炎上する(中央公論新社)』『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。