<甘えたことを言ってはいられない>俳優・綾瀬はるかが10年ぶり「戦争の取材」で見せたすばらしさ


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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「戦争が悲惨である」ということを、悲壮で荘厳な音楽とともに伝えられると、音楽が気になって中身がわからなくなる。そのように感じるは、筆者だけだろうか?

戦争を知らない若い世代が体験者に話を聞く。こういった試みは、それ自体は志が高い。だが取材するタレントが明らかに視聴率狙いで、しかも、自分が聞くことに興味が持てないのにスタッフの指示によって聞かされているタレントが現れると一気に鼻白む。

そんなに戦争で視聴率がとりたいか? 視聴率をとりたいだけなら、「戦後70年特番」などやらぬが良い。この手の企画が視聴率をとらないことは、いっぱしのテレビマンなら頭に刻み込まれているはずだ。

又吉直樹と羽田圭介の芥川賞2作が掲載された「文藝春秋」9月号に、俳優・綾瀬はるかが大変、率直で心に響く一文を寄せている。内容は「戦争体験のある人に綾瀬自身が取材することについての偽らざる思い」である。以下に要約する。

綾瀬は、2005年のTBS戦後60年特番『“ヒロシマ”…あの時、原爆投下は止められた…いま、明らかになる悲劇の真実』で、筑紫哲也とともにナビゲーターを務めた。その際、広島出身の綾瀬は、原爆を投下したB29エノラ・ゲイが発進したテニアン島を取材し、自分の祖母に姉を亡くした原爆体験を初めて聞いた。綾瀬は「聞けば辛い話になるのが分かっている」から、避けていたのである。

筆者はこの番組の構成を担当していたが、実の孫娘・綾瀬に語る、おばあちゃんの話は非常に優しいもので「女性の力で戦争を起こさんようにせんとダメなんよ」との言葉を覚えている。

綾瀬はこの取材をきっかけに「NEWS23」で戦争の話を聞く仕事を11年にわたって務めることになる。取材は「事前のくわしい説明も台本もなく」行われる。綾瀬がこれまで話を聞いた体験者は「40人」である。

取材を重ねた綾瀬は、

「もう、お辛そうなので止めましょう」

「こんなことを掘り下げて聞いたら失礼ではないか」

「悲惨な体験がくっきりと目に浮かび精神的に参ってしまう」

「この取材はもうやりたくないと正直思った」

などと考えた。それでも続けてきたのは、

「本当に大変なのは、思い出したくも話したくないつらい体験を言葉にして下さっている方々の方ですし、私がそんな甘えたことを言ってはいられない」

と思ったからである。

綾瀬はこれまでの取材の中で、最近の国会の話になったときに(※筆者註:安保法制などのことなどであろう)ある、おばあちゃんが語った、

「みんな腹の中で思うとることを一度全部出して、私はこうだけど、あんたはどうなんじゃと聞いたらいい。腹を全部見せて話し合えばいいのに、と思う」

と言った言葉が印象に残っているという。聞くことは、取材者やジャーナリストの宿命である。綾瀬はその意味で戦争に関する取材者として腹をくくっている女優と言うことである。

筆者は放送作家として、その綾瀬はるかと、再び番組をやった。TBS で8月15日夜6時50分から放送された「私の街も戦場だったII 今伝えたい家族の物語」である。第一弾の時は佐藤浩市をナビゲーターに、すべてVTRで構成した。今回はその佐藤や瀬戸内寂聴をゲストに迎えて、綾瀬と久米宏の司会で放送された。視聴率は厳しかった。

綾瀬が20歳の時、放送された番組でパートナーだったのはジャーナリストの筑紫哲也だが、今回の相手は司会者・久米宏である。その分、番組の作りは変わっている。ただし、見やすくするだけで視聴率が取れることにはならなかった。それほど、テレビの視聴者は甘くないと言うことだ。

 

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