<東山動植物園ロゴは盗用?>「トートバッグと五輪エンブレムは別問題」でも佐野デザインのエンブレムを再検討すべき理由


藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

***

東京オリンピックのエンブレム盗用問題は、佐野研二郎氏のその他のデザイン仕事にも波及し、毎日のように続々と「パクリ」「盗用」が発掘されている。

そんな中、佐野氏は広報を通して、

「タイミングの悪さもありますが、トートバッグの問題と、五輪エンブレムは別問題と考えています」

と表明した。

あまりにもわかりやすいサントリー商品でのトレース/盗用事例は取り下げが当然であるにせよ、確かに五輪エンブレム問題とは「別問題」だ。五輪エンブレムとベルギー・リエージュ劇場のロゴは酷似しているとはいえ、デザイン論的な観点から見て、そもそもがシンプルなモノだけに、これを「盗用」と決定し、証明することは容易ではないようにも思う。

一方で、サントリーの「トレース事実」を契機として、続々と「盗用疑惑」「パクリ疑惑」が持ち上がっている。その結果、五輪エンブレムの盗用問題に関して冷静で本質的な議論ができなくなっているのが現状だ。

むしろ、佐野氏の過去仕事への「粗探し」だけが盛り上がることには、いささか懸念さえ覚える。ここでは、改めて且つ冷静に、佐野氏自身が主張するように、「トートバッグの問題と、五輪エンブレムは別問題」として、エンブレム疑惑の今後について考えてみたい。

まず、サントリー盗用事実を受け、佐野氏は五輪エンブレムとは「別問題」に関しても、多くの批判や疑惑にさらされている。特に、サントリーの一件で「スタッフがやった云々」、「自分は知らなかった云々」はさておき、自身でもその非を認め、デザインの取り下げもしているのだから、世論の批判や疑惑の増大はやむを得ないだろう。

いかに「別問題だ」「他のデザインは違う」などを主張しても、一度ついた「疑惑のイメージ」を払拭することは難しい。現状を考えれば、あらゆる佐野氏のデザインが「盗用、パクリ」という疑いの目で見られるだろう。

「明らかな誤爆」や「考えすぎ」のような場合や、先行者に敬意を表したインスパイア作品やモチーフ作品であっても、「盗用だ、パクリだ」と言われ、炎上してしまうはずだ。

例えば、佐野氏がデザインした名古屋市・東山動植物園のロゴマークが「コスタリカ国立博物館のロゴの模倣ではないか?」との疑惑がたち、同園が調査に入ったというニュースがまさにそれだ。

確かに見比べてみれば似ているが、あのような「蜂の巣状」「雪の結晶状」のデザインは、比較的よく見られるありふれたデザインだ。また、模倣するにしても、コスタリカ国立博物館のような日本人には馴染みのない施設のロゴを探し出す労力に合理性は感じない。筆者が知るだけでも、似ている有名なデザインは他にもある。

例えば、90年代に人気を誇ったイギリスのデジタル音楽レーベル「ライジング・ハイ」(Rising High)のブランドマークは有名だ。これはコスタリカ国立博物館ロゴにも東山動植物園ロゴにも似ている。重ねてみると分かるがスケール(寸法)もほぼ同じだ。

 

mediagong20150821

(上:東山動植物園 中:コスタリカ国立博物館 下:ライジング・ハイ)

 

仮に東山動植物園のロゴが模倣だとしても、馴染みのないコスタリカ国立博物館を模倣するよりは、ライジング・ハイのロゴを真似たと考える方が自然であるように思う。少なくとも1970年代生まれで、ある程度音楽に馴染みがある生活をしていれば、知っている人も多い印象的な有名ロゴだ。

筆者としては東山動植物園のロゴとコスタリカ国立博物館のロゴと結びつけるというのは、いささか「考えすぎ」であるように思う。しかし、筆者がそのような指摘をしたところで、勢いづく模倣疑惑は沈静化しないだろう。当事者の東山動植物園自身が調査に入るぐらいだから、むしろ「佐野デザイン=模倣」のイメージは日々、増幅されている。

つまり、世間はもう、佐野デザインの何を見ても「模倣」としか思わない。それが東山動植物園の騒動が意味している現実だ。

そう考えると「疑惑のデパート化」してしまったような現在の五輪エンブレムが、真実はどうであるにせよ、果たしてオリンピックという世界最大の祭典のエンブレムとしての役割を果たすことができるのだろうか? という疑問にかられる。

仮に盗用疑惑が否定され「疑惑のエンブレム」が「正式なエンブレム」として稼働しはじめたとしても、世界最大の平和の祭典オリンピックの「公式エンブレム」として本来持つべき役割と機能は果たせないように思う。つまり、誰にとってもハッピーではないのだ。

あらゆる状況下でオリンピックの象徴としてはあるまじき炎上を誘発し、疑惑や騒動を引き起こすような「火種」は、やはりオリンピックには適さない。エンブレムがそのようなものになっている以上、デザイナーが誰であれ、エンブレムは再検討されるべきではないだろうか。

佐野氏が真にプロフェッショナルなクリエイターであれば、自ら「トートバッグの盗用問題や一連の疑惑問題を巻き起こした社会的責任をとる」という形で五輪エンブレムを取り下げることも検討すべきではないだろうか。

そして、改めてエンブレムを公募し、疑惑や批判の一切ない、世界に誇れる「メイン・イン・ジャパン」の東京五輪エンブレムを発表すべきであろう。もちろん、疑惑を払拭するためにも、佐野氏もそれに応じ、応募すべきである。それに改めて勝ち抜くことができれば、「トートバッグとは別問題」として多くの疑惑が晴れるだろう。

4年に1度のオリンピックのチャンスに向けて、世界中のアスリートが極限のトレーニングと途方もない努力をしている。世界中の選手が国家の威信と国民の期待と応援を背に、人生最大・最高の舞台として挑んでいる。

そんな世界最高の舞台を引き立てるためには、あらゆる状況、あらゆる素材が、それを応援するにふさわしい最高の状態で作り上げられる必要がある。主催国である日本にはそれを作り上げる義務がある。現在の五輪エンブレムを囲む状況が果たしてそれに「ふさわしい状況」であろうか。もちろん、トートバッグとは別問題で。

デザイン的に見て佐野氏の五輪エンブレムが盗用か否か、という専門的な意見や議論はこの際ペンディングし、むしろ「盗用の有無とは別問題」として、一度フラットな状態に戻す勇気は必要であるように思う。一連の佐野デザイン騒動は、もはや単なるデザイン議論の問題ではないのだ。

そもそも選手たちは、ここまで「疑惑」で騒がれたエンブレムを自らの胸に付けたいと思うだろうか。そして、オリンピックは何であって、そして主人公は誰なのか。これを改めて考えるべきであるように思う。

 

【あわせて読みたい】

The following two tabs change content below.
藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・准教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員准教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。