<下ネタは便利?それとも危険?>「下ネタ」がダメな笑いと思われる理由を考える


高橋維新[弁護士]

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「下ネタ」とは何か。ある業界人は「下ネタは誰にでもできる」と言い、下ネタばかりやる芸人を批判的に捉える。実際の笑いの世界でも、下ネタは他のネタより一段低く見られている空気があることは否めない。

しかし、本当に下ネタは誰にでもできるのだろうか。そして、本当に他のネタより低い位置に甘んずべき存在なのだろうか。本稿ではあまり真剣に論じられることのない「下ネタ」のあり方について、弁護士らしくロジカルに考察してみたい。

笑いは「ズレ」から生まれるものである。下ネタも、笑える場合には当然ズレがある。下ネタにあるズレとは、「大っぴらに言えないことを大っぴらに言っている」というズレである。

一般的に「下ネタ」は、大きく「生殖ネタ」と「排泄ネタ」に分類できる。この「生殖」と「排泄」に共通しているのは、いずれも生物としてのヒトに不可欠な営みでありながら、隠蔽されているということである。

要は、人前で大っぴらに行うことが禁止されているということである。しかも、行うことのみならず、話題にすることさえ禁じられているのである。少なくとも現代日本社会においては、生殖行為や排泄行為について人前で直接的に話題にすることは、大なり小なり憚られる部分があるということは異論がないだろう。

下ネタは、この禁止を破る行為だ。禁止を破って発せられる下ネタは「大っぴらに言うことが憚られる内容を敢えて言っている」というズレが生む。そのズレが笑いを誘発する。その意味で、下ネタは「人前で言う度胸さえあれば誰にでもできる」わけである。

もっとも、最低限この「度胸」は必要なので、必ずしも「誰にでもできる」というわけではない。しかし、笑いのセンスや知識や発想力がこの段階では不要なのは確かである。人前で「ウンコ」とさえ言える度胸があれば、このズレは生み出せる。これは小学生でも思いつく単純さである。

センスや発想力が必要ないものは、陳腐化する危険、すでに陳腐化している危険を常に孕んでいる。現に「人前で『ウンコ』と叫ぶ」などという下ネタは、もう散々やり尽くされており、おもしろくないばかりか、不快な場合すらある。

ただし、下ネタが生むズレはこういうことだけではない。ネタ自体のズレがある。そこに作り手のセンスや知識が入る部分は残っているのである。

「ウンコ」を何で例えるか。「カレー」や「味噌」は陳腐だろう。「トリュフ」や「正露丸」であればあまり見ないタイプの例えである。「酸化銀」や「二酸化マンガン」なら知的だ。「馬糞みたいなウンコ」と言えば、「ウンコをウンコで例えるなよ」というツッコミが飛んできそうである。ここでは、話者のセンスが問われている。

下ネタにも、センスや知識が入り込む余地は(他のネタと同程度に)あるのである。

他方で別の側面から検討しておくべきこともある。下ネタは「基本的には大っぴらに言うべきでないこと」であるため、客に受け入れられない可能性がある。程度によっては、客に引かれたり、客を怒らせたりしてしまう危険性すらある。

だが、実はこういう危険性があるのは下ネタに限らず、全てのネタに共通することでもある。野球ネタは野球を知らない人には受け入れられない可能性がある。野球をバカにし過ぎれば、野球好きを引かせたり怒らせたりする危険性もある。

「下ネタは、嫌いな人が他の普通のネタより多いし、引かれる危険性も怒らせる危険性も高い」

という反論をしてくる人もいるが、この点はまだ十分に実証的な調査が為されていない気がしている。

一方で、下ネタが扱う「生殖行為」と「排泄行為」が、全ての人間にとって不可欠な営為であることを考えれば、全ての人間が知識と関心を持っている題材であり、野球なんぞよりはよほど裾野が広いテーマであることがわかる。

この裾野の広さは、テレビのような不特定多数の人を相手にするメディアでは何物にも代え難い強みでもある。

また、「笑い」とは非日常を扱う側面があるため、「普段言えないことを大っぴらに叫ぶ」という下ネタという非日常性は、客に大きな笑いをもたらす可能性は他よりも圧倒的に高い。

今までの論述を踏まえ、「下ネタ」についてまとめると、以下のようになる。

【下ネタの利点】

  1. 全ての人間に通じる話題であり、裾野が非常に広い
  2. 典型的な非日常を提供するため容易に大きな笑いをもたらし得る
  3. 「大っぴらに言うことが憚られる内容を敢えて言う」というズレは、センスや知識とは関係なく生み出すことができる。

【下ネタの欠点】

  1. 利点3は全ての下ネタに共通するため陳腐化しやすい
  2. 客によっては笑えない。引かせたり怒らせたりする危険性がある。

ただ、欠点2は、他のネタにも共通しており、下ネタの時だけこれが有意に大きくなるとは今の段階では断言できない。そのため、この点だけを捉えて「下ネタは劣っている」とか「やるべきでない」とは言えない。

かといって、下ネタの時だけこのような危険性が有意に大きい可能性は否定できない。よって、下ネタとそうじゃないネタで同程度の笑いを生み出せるものが二つあれば、後者を優先させておいた方が無難ではあろう。ただ、下ネタには1、2のような利点があるため、これに匹敵する「下じゃないネタ」を思いつくのはなかなか難しいのが現実だろう。

欠点1、2を意識して排除できるのであれば、下ネタを忌避すべきとは思えない。そのため、下ネタとそうじゃないのを二つ思いついたなら、両方やってしまえばいいと筆者は考えている。客層を見極めて、下ネタが通じる客だと判断できるならば(=欠点2の排除)、きちんと考えた下ネタ(=欠点1の排除)をやるのは全く恥じるべきではないということである。

結局、客とTPOに合わせて笑いを考えろということであり、それは「シモじゃないネタ」をやる場合とまったく同じなのである。

世間がこの結論と異なり、下ネタが他のネタより一段劣ったものと評価されているのは、単に「シモにまつわる話題は大っぴらに言うべきでない」という価値観の影響ではないかと考えている。この価値観からすぐに結論を導き出すのは、短絡的に過ぎないだろうか。

 

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高橋維新(たかはし・いしん)弁護士、コラム二スト。1987年、東京生まれ。2006年、東京大学法学部入学。2010年より「マヒ郎」のペンネームでファミ通町内会へ「ハガキ職人」として投稿を始める。現役ハガキ職人を続けながら、2012年に司法試験合格。2013年、弁護士登録(函館弁護士会)。ファミ通町内会長(第5代)。