[茂木健一郎]<国宝「納涼図屏風」こそラグジュアリー>ブランド品とは違う「素朴でシンプル」なラグジュアリー


茂木健一郎[脳科学者]

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2015年10月10日から、六本木のサントリー美術館で、久隅守景展が始まる。国宝「納涼図屏風」が出品される。何度か実物を見たことがあるが、実に味わい深い名品だ。

「納涼図屏風」でだんらんする親子の姿もいいが、ひょうたんのつるがくるくるしているところとか、月がぼんやりと見えているのもいい。余白が大胆に構図されているのもいい。ぜひ会期中に実物を見たい。

ところで、「納涼図屏風」を見ると、「ラグジュアリー」だなあと思う。

風通しのいい、広々とした庭で、ゆっくりと寝転がる。そんな時間を持つことができたら、本当に贅沢で、素敵で、心の奥底からこみ上げてくるような歓びを感じることができるだろう。

きらびやかなモノや、贅沢な設いがラグジュアリーなのではない。少なくとも、現代においては違うのではないか。ラグジュアリーは、もっと素朴で、シンプルな時間の中にある。「納涼図屏風」を、ラグジュアリーの一つの原風景として見ると、味わい深い。

そもそも、月見をするために適した設いは簡単なようでいて、現代では得難い。見通しのよい空間で、風が通り過ぎ、虫の音が聞こえてくる。そんな、かつては当たり前にあった情景が、大都会では不可能に近い。月見が廃れるのも、時代の流れだ。

マシュマロが一袋あれば、焚き火をして、マシュマロを小枝にさして、火であぶってやわらかく溶けたところをふうふうしながら食べれば、もう十分にラグジュアリーだ。しかし、現代では、焚き火をすること自体が難しい。思う存分焚き火ができる場所など、どこにあるというのか。

緑豊かなすてきな光景があれば、それこそ、安いウィスキーの小瓶を一つもって、ふらふら歩いていけば、十分にラグジュアリーである。そこに何本かビーフジャーキーがあったりしたらもう最高である。喉がかわいたら、せせらぎの水を飲める、みたいなことがあったら何も言うことはない。

「納涼図屏風」のような絵が描かれ、それが国宝に指定されるということは、日本人は何が生きる時間を豊かにするかということを本来は知っているということだと思う。

ブランド品の「ラグジュアリー」とは違う、生きるという時間に寄り添った持続可能なスタイルがそこにある。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。