<SNSでわざわざ博識を披露してくれる人たち>余計なメッセージはストレス以外の何物でもない


影山貴彦[同志社女子大学 教授/元・毎日放送 プロデューサー]

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筆者が愛用している携帯電話のFacebookアプリの反応が、ここのところ急激に重くなっていた。クリックしてから開くまでに数分かかることも珍しくなくなった。正直、かなりのストレスにもなっていた。

「いっそのこと、ケータイごと替えたろかっ!」

と、若干思いつつ、家電量販店の携帯電話売り場を次の仕事までの空き時間、さりげなく見ていた。ふとあることを思いついた。店内のベンチに腰掛けた。

「Facebookのアプリを1度アンインストールして、再びアプリを取り直したらどうだろう?」と思い立ったのだ。

超文系の人間の自分が考えそうなことである。たとえるなら調子の悪い電化製品のコンセントを1回抜いて、もう1度差し込んでみるような、きわめてシンプルな手法である。

試してみた。 すると、嬉しい予想外の出来事が起こった。アプリの反応が数段早くなったのだ。大げさでなく、ストレスから解放された思いだった。

正直、多くの人には常識中の常識。軽く流される出来事だろう。ただ新しい機種の携帯電話を購入すると、その使い方をマスターするまで半端ないストレスを感じるタイプのご同輩は、筆者の気持ちが分かっていただけるかと思う。

こうした経験をSNSに書くと、物知り顔で、

「それは、○○という仕組みで、実は云々かんぬん~」

と、親切ぶって説明したがる人がいる。コメントがその人の博識?を披露する場となることがある。そもそも、筆者はそういうご高説は正直全く望んでいない。そんな興味、微塵もない。

「自らの思いつきを試したらケータイが直った! 良かった! バンザイ!」

ただ、それだけだ。筆者が望む、他者からの反応があるとすれば、「良かったですね!」それだけで十分なのである。

世の中にはさまざまなタイプの人間がいる。仕事でなく、必要性なきプライベートなやり取りの場合、相手が望んでいないことは、仮に思っていても必ずしも言わない方が良い場合がある。さりげなく書き込もうとしているその言葉、自身の満足感を得るためのみに発してはいないか?

筆者自身、普段から意識していることである。SNSのジャンルでは意外と大切なことではないかと思うのだ。他者からの短い言葉に、軽いストレスを感じている人は、今とても多い。

 

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影山貴彦

影山貴彦(かげやま・たかひこ)同志社女子大学 学芸学部情報メディア学科・教授。早稲田大学政治経済学部卒。専門は「メディアエンターテインメント論」。毎日放送(MBS)プロデューサーを経て現職。日本笑い学会理事。著書に「テレビのゆくえ」「おっさん力」「百恵讃」「社会人大学院生入門」など。