<障害者よりも辛い「身内の裏切り」>障害者の当事者として考える「乙武不倫騒動」の嫌悪感

社会・メディア

 
小林春彦[コラムニスト]
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2016年は年始から不思議と「不倫」という言葉がよく聞こえてきます。
筆者は不倫がとても嫌いで、身の回りで不倫があって揉めている人々がいるときは、残念ながら関係も疎遠になります。少なくとも筆者は誰かとの愛を互いに誓ったら、絶対に不実な行為はしません。別にそれを人に押し付けるつもりもありませんが。
さて、筆者は障害を持つ当事者として、「健常者の生き辛さ」や「社会的マイノリティ」といったテーマで講演活動を行っているのですが、最近散見される、「不倫は当事者間の問題」といった言説を見るにつけて思うことがあります。それは、妻子ある立場なら当人たちだけの問題ではない、ということです。
高次脳機能障害という難治性の障害を抱える筆者は、アダルト・チルドレン・アノニマス(ACA)という「生き辛さ」を抱えた方の集まる自助グループに匿名で通っていた時期がありました。その自助会の中でとりわけ目立った鉄板の生き辛さネタが「家族の不倫」でした。
家族関係を壊したくないからと見て見ぬふりをしている、両親をかばっている、友達として証拠隠滅やアリバイ作りに加担している・・・などなど。辛そうな思いを吐露している配偶者、必死に隠そうとしている当事者たち。
そして、そういった身勝手で愛し方の分からなかった親を持ってしまった子供の涙声を筆者はたくさん聞いていました。
障害による生き辛さも大変だが、それ以上に身内や近しい人の裏切りは辛いのだな、とその哀れ感にいたたまれなくなったことを想起させられます。
先日からの乙武洋匡氏の不倫騒動。被害者であるはずの奥様が異例の謝罪文を出し(身内では一応)許したとのことですが、配偶者が許したところでその経緯や情報は、永遠にインターネットに残り続けます。やがてお子さまも思春期あたりで知ることになるでしょう。そのときのことを思うと胸が締め付けられる思いがします。
障害者には自分でそういった処理もできない人がいるだろうから致し方ない、とお考えの方もいるようです。そうであれば配偶者に許可を得て風俗にでも遊びに行けばいいと思います。
不倫という誰も幸せにならない行為で自己肯定感を失った人にとって、公人の不倫報道はそれだけでトラウマをえぐられ、脊髄反射的に嫌悪感抱くものです。だから不倫はイメージが悪いんですよね。
恋愛は美しいものですけどルールを侵し快楽が理性を上回ったがゆえの不幸が連鎖しないことを切に願っています。
 
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