<清原被告の絶望的な環境>亜希と清原被告の関係があぶり出す「家族・妻」の関わり

社会・メディア

矩子幸平[ライター]
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現在、糖尿病治療のために入院しているといわれる清原和博被告。報道によれば、保釈にあたり身元引き受け人となった父親は体調不慮。認知症の母親は介護施設で、弟とは絶縁状態であると言われる。もちろん、元妻のモデル・亜希(旧名・清原亜希)とは2014年に離婚している。
保釈後に病院のVIPルームに直行した清原被告を囲んでいる環境は、高度なセキュリティを持つ一方で、家族の支援やサポートが期待できる状況とは言い難い。
薬物中毒からの治療・更生には人間関係も大きく影響する。特に、家族のバックアップや関わりも重要な要素だ。依存性の強い覚せい剤からの更生は簡単ではない。自分の意志や病院の治療、あるいは「罰」だけでは更生が難しいとも言われる。
清原被告が薬物に手を出し始めた時期に関しては、今後の裁判の中で明らかになってくるとは思うが、一部報道によれば、巨人現役時代(1997〜2005)にまでさかのぼるという説もある。
そう考えると、2000年に結婚し、2014年に離婚した元妻の亜希氏は、結婚期間の多くで、清原被告が薬物依存である時期と重なる。むしろ、出会ってから結婚期間の全てが薬物中毒であった可能性すらある。
大変な時期を過ごしたのだな、と気の毒に思う一方で、重度とされる清原被告の覚せい剤中毒の状態を、元妻である亜希氏が、家族としてどのように向き合ってきたのか? は気になるところだ。
「アサ芸プラス」(2016年2月14日)によれば、芸能記者の話として、(亜希氏は、清原被告が今回の逮捕以前に)「薬物で入院した際には“死んでほしい”とまで願った」という情報が伝えられている。これが事実だとすれば、家族(今回の場合、元妻の亜希氏になるのだが)が、薬物に溺れる清原被告を警察に通報するという選択肢も十分にあり得たように思う。
重度の中毒者の場合、家族から警察への通報で逮捕に至るケースは少なくないからだ。ましてや「死を願う」ほどの思いがあったのにもかかわらず、なぜ通報できなかったのか。気になるところだ。
別居に至る2014年3月までは、どんな形であれ一緒に暮らしていたのだから、決して短くない同居生活だ。亜希氏の家族としての清原被告との関わりは、今後の裁判でも明らかになるのだろうか。
さて、薬物依存症者を抱える家族を支援するNPO「全国薬物依存症者家族連合会(薬家連)」のホームページに、「家族への12の助言-依存症者をかかえる家族が、依存症者本人に接する場合の原則-」という文章が掲載されている。
薬物依存に陥った患者の家族がどうあるべきか、何を知るべきか、が簡潔にまとめられている12個からなる文章だ。12の助言は、そのタイトルを見るだけにも非常にわかりやすい。

  1. 本人に関する一切の思い込みを捨て、白紙に還る
  2. 本人を子ども扱いしない
  3. 本人への過度の注意集中を避け、自分自身に注目を向け変える
  4. 孤立を避け、家族同士で集まる
  5. 本人に対する脅し、すかしを止める
  6. 本人に対する監視的、干渉的ふるまいを止める
  7. 本人の不始末の尻ぬぐいを避ける
  8. 本人の行動に一喜一憂しない
  9. 言ったことは実行し、出来ないことは言わない
  10. 適切な機会をとらえて、本人に問題点を直視させる
  11. 本人の暴力に屈しない
  12. 本人を病院任せにしない

(http://www.yakkaren.com/bigina.a/kazoku12jyogen.html)
この「12の助言」の全文は薬家連のホームページで確認してほしいが、これを読む限り、清原被告を囲む環境が、過去も現在も薬物依存者としては「絶望的」であることがよく分かる。
現在保釈中の清原被告は「(3)本人への過度の注意集中」の状態にある。いうまでもなく「(4)孤立を避け、家族同士で集まる」ことはできておらず、「(12)本人を病院任せ」にしているのが現実だろう。もしかすると、それらが結果的に、「(10)適切な機会をとらえて、本人に問題点を直視させる」ことを困難にさせている可能性もある。
今、メディアは清原被告のスキャンダラスな面、あるいは病院のVIPルームの値段や「焼肉弁当」などといったネタばかりに注目を集めてしまっている。しかし、これを単なる有名人の薬物事件として「楽しむ」だけであってはならない。
今回の事件を薬物問題を考える一つの契機としてゆくためにも、「薬物依存症と家族」の関係についても報じ、議論してゆくべきだろう。
清原被告に必要なものが何なのか? そして何が足りなくてこのような事態に陥ってしまったのか? その要因は、多かれ少なかれ「家族」「家庭」の中にもあるように思う。これらについて改めて考えてみるような報道も今後は必要なのではないか。
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