<フジテレビ『若者たち2014』に想う>60年代の若者はテリー伊藤も糸井重里もビートたけしも外で暴れていた

テレビ

藤沢隆[テレビディレクター/プロデューサー]

フジテレビが開局55周年と銘打ちスタートしたテレビドラマ「若者たち」。
評判も視聴率もあまりよろしくないようです。
このドラマは1966年に放送された同名ドラマのリメイクです。貧しい兄弟が様々に悩み対立し怒鳴りあい、時には殴り合いながら真摯に生きて行く物語です。しかし、朝鮮人差別をあつかった回がきっかけで打ち切りになった1966年版の方は、今回のものより社会性が強いドラマでした。
1966年と言えばビートルズが来日し、「笑点」が始まった年です。しかしなんと言ってもベトナム戦争の最中であり、ピート・シーガー、ボブ・ディラン、P・P・Mなどが歌った「花はどこへ行った」「風に吹かれて」「WE SHALL OVER COME」「500マイル」などのプロテストソングが若者たちの心をとらえていました。
翌1967年は学生たちが初めて羽田闘争でゲバ棒を持ち警官隊と激突した年でもあります。その若者たちはけっして特別な学生だったわけではなく、日大全共闘のテリー・伊藤は投石が左目にあたって大けがを負い、糸井重里は法政大学中核派の過激派学生として佐世保で米空母エンタープライズ寄港阻止を闘っていました。
ビート・たけしも熱心ではないが学生運動に参加したことがあると言っているように、新宿フォークゲリラやベ平連を含め、ドラマ1966年版「若者たち」世代の多くは様々な形で社会に向かって声を上げ、闘っていた時代でした。
それから半世紀近くたったいまの「若者たち」はどうでしょうか。私には「おとなしい」ことをいいことに社会から虐待されているように思えます。
国際競争力を維持するためという名目で企業の人件費コスト削減がはかられ、それが派遣労働や非正規雇用という形で若者たちを苦しめています。派遣法は通訳や演奏家などの専門性の高い限定された業種から端を発し、さまざまな働き方を自由に選択できるなどというキレイごとを建前にスタートしました。
もちろんホントのねらいは大幅な人件費コストの削減です。案の定、年を追うごとに法の規制は緩み、対象業種も拡大し、低賃金派遣労働者である若者が増え続けています。
“非正規”雇用という失礼なネーミングの雇用形態の蔓延は、企業側からみれば、低賃金、不要になったら契約を解除できる、病気になったり、定年後など考える必要もない、と良いことずくめですが、これにより膨大な数の若者たちが “どう頑張ってもワーキングプア”という状況を強いられています。これは社会的虐待なのではないでしょうか。
一方で正規雇用の若者たちにも“成果主義賃金”制度の導入が見えています。要は残業代を払わないというシステムです。最初は年収1000万円以上のエリートに限るなんて言っていますが、いつもの手です。制度ができればどんどん対象が広がって行くのは目に見えています。
導入推進側はいろいろと建前やキレイゴトを言っていますが要はこれも人件費コストの削減がねらいなのはミエミエです。これも若者たちいじめのように思えます。
公的年金制度はどうでしょうか。若者たちが将来納得できる年金を受け取れるかどうか大きな疑問のある中で、支払いだけは求められています。
そして時代は超のつく“少子高齢化”です。若者たちは、現に年金の恩恵を受けている親を介護しなければならない立場でもあります。それでいながら、自分たちは老後の収入不安に加えて、少子化で自分たちの老後をみていくれる人間がいるのかどうか・・・。
今の若者たちはこれからも虐待され続ける世代のようでほんとうにお気の毒です。
そしてそんな現代の若者たちにさらに強烈な追い打ちがかかりました。集団的自衛権です。政府は日本を集団的自衛権行使が出来る国にしました。公明党は非常に限定的と言っていますが、はっきりとしているのは“戦争する国になる”ということです。
最初は限定的なんて言っていても、どんどん広がって行くのはあたりまえですね。日本が直接攻撃されたような正当防衛状態でなくとも戦争に参加することになり、戦争で殺し、殺されることがありうるようになります。
その戦争で殺し、殺されるのはけっして政府のおっさんたちではありません。いつだって戦争で闘うことを強いられるのは多くの若者たちです。
この時代のテレビドラマ「若者たち2014」の若者たちは、「でき婚」だの「不倫」だのと家の中で怒鳴りあっています。そんなことを家の中で騒いでみても若者たちを襲う時代の虐待はけっして止まらないのではないか、と「1966年版・若者たち」のひとりである筆者は歯がゆくも、申し訳なくも思います。