学校の「一斉授業」は人生の貴重な時間の無駄?[茂木健一郎]


茂木健一郎[脳科学者]

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時々、小、中、高校を訪問して、授業を見させていただくことがあるけれども、その度に、教室の中に生徒たちが並び、先生がずっとしゃべっている、あの授業スタイルが「なんだかなあ」と改めてびっくりする。自分もその中に12年間いただけに、なおさらである。

自分は、あの、教室での一斉授業をどのように「やり過ごして」いたのかと思う。今振り返ると、先生の話を聞きつつ、場合によっては自分で他のことを考えたり、手元の辞書を読んだりして、認知的な負荷を高めていたのではないかと回想される。

うまく行っている授業は、生徒たちの脳を暇にしない。適度な難易度で、適度な課題、適度な作業量で、次から次へと脳をエンゲージして、授業の終わりまで飽きさせない。一方、うまく行っていない授業は、生徒たちが、時間を持てあますのではないかと思う。

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時間を持て余した生徒たちは、白昼夢に入ったり、実際に夢を見たり(つまり、眠るということ)、窓の外を見たり、いろいろして過ごすのだろうが、人生の、しかも青春の貴重な時間を、あのようにして過ごすのは、ほんとうにもったいないと思う。

一斉授業が今後どのように変化していくのかわからないが、生徒の脳のエンゲージメントの強度と質を評価軸にしないと、ただ、学んでいるというスタンスだけのことになってしまう気がする。自分自身の生徒時代を振り返っても、脳を退屈させずにエンゲージさせるためには、いろいろ工夫が必要だった。

いい教師の場合は、100%そっちを聞いているけれども、それほどでもない場合は、70%くらいは聞いていて、あとの30%は、自分の手元の辞書を読んだりとか、適宜タスクを割り振って、脳への負荷の強度と質を維持する、というアプローチが、案外有効だったように気がする。

結局、学習者の脳への負荷の強度と質は、本人にしかわからないわけだから、本人が責任をもって、それをメタ認知し、場合によっては工夫し、補うしかない。このような「負荷の自己調節」は教室での一斉授業で学習者がまっさきに学ぶべきスキルのように思うが、学校で教わった記憶は残念ながらない。

  (本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。