<相模原殺傷事件>重複障害者を「不幸だ」と決め付けてはならない

社会・メディア

姫路まさのり[放送作家/ライター]
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神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、19人の方が刺殺される事件が発生しました。
植松聖容疑者は、「重複障害者が生きていくのは不幸だ。不幸を減らすためにやった」と供述しており、「声をかけて返事がない人を狙った」など、その計画性の高さが浮き彫りになりました。
今回の事件で、「重複障害者」という言葉を初めて耳にされた方もいらっしゃったかもしれません。私がこの言葉を始めて知ったのは、山本おさむ氏が描かれた漫画「どんぐりの家」という漫画でした。
聴覚障害に加え、知的障害・肢体不自由・精神障害などを併せ持つ「ろう重複障害者」の子ども達と、それを支える人たちの事実に基づく物語です。
耳が聞こえず、言葉という概念さえ理解できない子どもに、笑顔で勉強を教える先生。食卓ではご飯を、リビングでは玩具を撒き散らすわが子を理解しようとするお父さん・お母さん。懸命に生きようとする子どたちと、それを全力で支える大人たち。やがて、将来を憂う人たちの想いは、2億円の募金活動へ発展し、生活労働施設『ふれあいの里・どんぐり』の建設へと繋がっていくー。
幾度と読み返し、嗚咽を漏らした漫画です。
【参考】<「発達障害本の氾濫」に警鐘>無責任な科学者のトンデモ本に注意
以前、筋ジストロフィーの子ども達のボランティアに携わった際、「どんぐりの家」に描かれている出来事と、全く同じ経験をした事があります。
子ども達は、歩く事も出来ず車椅子に座ったまま。それでも、同じ姿勢を保って座り続ける事は、彼らにとって大変な労力を擁します。喋る事もなくて表情も乏く、傍目から見れば、何が楽しいの?  何が嬉しいの? と、感じる人がいるかもしれません。
しかし、半日も接していると、ふと、ある事に気がつきます。
トイレなどの所要で席を外すと、「目」で自分の事を追ってくれるのです。出て行った扉の方を見つめ、帰りを待ってくれている。戻ってくると、嬉しそうな目で、じっ・・・と見つめてくれるその目は、言葉は喋れなくても、 「おかえりなさい」と伝えてくれていました。
声に出せなくても、体が動かせなくても、どんな人間にも、「想い」は必ず存在します。

「手伝ってくれてありがとう」
「今日のご飯、美味しかったよ」
「天気がいいから お散歩 気持ちいいね」

コミュニケーションが取れないと決め付けるのではなく、その「想い」を掬い取ってあげる事が、何より大切なのだと強く感じました。
その場では、何かにつけ手を触れ合わせるようにし、帰り際の最後の握手は、少しだけ強く「ギュッ」と握ってあげるのが決まりでした。
当然、握り返す力などありません・・・。
それでも、自分が握った反発で、少しだけ握り返してくれたように感じ、「また来るからね」と約束をしていたのです。別れを惜しむ表情で見送ってくれる彼らと、その保護者の皆さんの姿を、僕は「不幸」などと感じる事はありませんでした。
【参考】<大学の無知>東京理科大「笑育」は芸能を理解していない害悪
事件から数日後、複数の団体がメッセージを公表。「全国手をつなぐ育成会連合会」は「安心して、堂々と生きてください」と伝えました。
これは、わざわざ伝える事のない「当たり前の言葉」かも知れません。しかし、現在も尚、「当たり前の日常」が 脆くも崩され、大きな不安を抱えている方が沢山いらっしゃるのです。
不測の事態だからこそ、「大丈夫だよ」と声をかけ、不安な「想い」を掬い取ってあげてください。「生きていていいんだよ」、「生きてくれてありがとう」と、当たり前の言葉を、沢山、沢山、伝えてあげて下さい。
懸命に生きる命を、「不幸だ」と決め付け、奪う権利は誰にもありません。
最後になりましたが、お亡くなりになられた方々のご冥福と、お怪我を負われた皆様、ご家族・関係者の皆様の快癒を、心よりお祈り申し上げます。
 
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