「ボブ・ディランは無礼で傲慢」と言うノーベル委員長こそ「無礼で傲慢」


藤本貴之[東洋大学 教授・博士(学術)/メディア学者]

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ノーベル文学賞の受賞が決まった後も連絡が取れず、何のコメントも出していないことで話題のミュージシャンのボブ・ディラン。この状態を、「ボブ・ディランらしい」と肯定的に捉える人もいれば、「大人げない」などと否定的に見る人もおり、その見方はさまざまだ。

一方で、ノーベル文学賞を発表してから全く音沙汰のない状態に業を煮やしたのか、ノーベル賞選考の委員長・ペール・ベストベリィ氏は10月21日、ボブ・ディランに「無礼で傲慢だ」と苦言を呈した。

確かに、ミュージシャンとはいえ、ボブ・ディランも75歳の経験豊富な社会人だ。大きな受賞や国際的な栄誉に関しては、興味があろうがなかろうが、連絡ぐらいは受けてあげるのが「大人」というものだろう。

そう考えれば、ボブ・ディランに対して「いささか大人げないかな・・・」と感じる人は少なくないはずだ。しかし、ミュージシャンとしてのキャラクターや本人の嗜好性もあるのだから仕方がないよね・・・とも思える。評価の難しいところだ。

これには賛否両論あると思うので、ここではそれ以上の議論は要しない。

しかし、だ。そんなことよりも、ベストベリィ委員長の「無礼で傲慢だ」という苦言には呆れさせられる。

ノーベル賞は自分で応募するわけではない。もちろん、ロビイングするようなものでもない。さらに言えば、自分で取りたいとアピールするわけでもなければ、多額の寄付金という「貢献」で購入できるものでもない。

受賞するための条件や準備などが明記されているわけでもない。村上春樹の例を見るまでもなく、世論調査で1位になろうが、ブックメーカー(賭け屋)で1位予測をされていようが、そういった人気投票が受賞に反映されるわけでもない。

そもそもノーベル賞には「ノーベル賞候補」すら存在していないのだ。

ようは、ノーベル賞は、選考委員会が一方的に選んでいるだけに過ぎないわけだ。例えば、病理学者・山極勝三郎(1863〜1930)は4度のノーベル賞ノミネート(1925年、1926年、1928年、死後の1936年)を受けているが、「東洋人にノーベル賞は早すぎる」という意見が受賞できなかった要因の一つであるいう話は有名だ。

【参考】ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞に見る「ビジネスモデルとしてのノーベル賞」の凄さ

ノーベル賞に恣意性があったとしても、必ずしもそれが悪いわけではない。設立・運営の意図や経緯もあるのだから、選ぶ側にもルールやスタイルがあってしかるべきだ。

だからこそ、連絡がとれないボブ・ディランに対して、ベストベリィ委員長が「無礼で傲慢だ」と言うことの方にこそ、「無礼で傲慢」を感じてしまう。自分たちが連絡をすれば、どんな人でも喜んで連絡に応じる、それが当たり前だ、とでも思っているのだろうか。そうであれば傲慢も甚だしい。ボブ・ディランには「勝手に選んでおいて、ウザいんですけど」と言う権利があることを忘れていないか。

ノーベル賞が世界最高峰の賞であることに疑いはない。だからこそ、予測困難で一方的に選ばれるという「神がかった幸運」をありがたく受け、また、それを名誉・栄誉として受賞者たちは誇るのである。「選ぶ人たち」が、わざわざ「自分たちの賞は世界最高峰の名誉です」なとど言わなくても、十分に世界最高峰なのだ。ノーベル委員長氏は何を焦っているのか。

今回のペール・ベストベリィ委員長の「ボブ・ディランは無礼で傲慢」発言は、「自分たちの賞は世界最高峰の名誉です」と自ら言っているようなもので、悲しいほど痛い。人気美人女優が「自分は美人です」と言うようなものだ。美人は自分を美人と公言しないからこそ価値があり、人気があるのだ。そして、言わなくても、十分に美人だし魅力的なのだ。

自分で自分ことを賛美するなど、単なる「痛い奴」ではないか。

ましてや「無礼で傲慢」発言だけならまだ救いようがある。しかし、「我々は待つ。彼が何と言おうと彼が受賞者だ」などという、フォローとも「連絡くださいメッセージ」ともつかない中途半端なコメントを続けているあたりが「痛さ」を加速させている。

「ボブ・ディランは無礼で傲慢」発言を受けて感じるノーベル賞への残念感。もちろん、こんなことでノーベル賞の価値を低く見たり、軽んじることはないし、あってはならない。

それでもなお、ボブ・ディランには、このまま「既読スルー」を徹して欲しいと期待してしまうのは、筆者だけではあるまい。

 

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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『だからデザイナーは炎上する(中央公論新社)』『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。