現代美術の巨匠クリスチャン・ボルタンスキー個展「アニミタスーさざめく亡霊たち」


齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]

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東京都庭園美術館でボルタンスキーの個展が開催されている。

現代美術界では大御所の一人として知られ、記憶の蘇生や、匿名の個人/集団の生と死など哲学的なテーマを、印象的な大型のインスタレーションや映像で表現してきた。どうやら東京では初の個展らしい。来年にはもっと作品数の多い大々的な個展が予定され、これはその前哨戦のようなものらしい。

庭園美術館といえば旧朝霞邸であり、日本におけるアール・デコ様式の優美な建築で知られる。館内の装飾も美しく見ごたえがある。この制約のある歴史的建造物(大規模なインスタレーションの設置などは難しい。庭園美術館の旧館)での声や音、影を中心とした展示と、増築された新館でのいわゆるホワイトキューブでの映像作品等の展示、と2種類の展示方法があり、どの作品をどういった場所に、といった展覧の意図や展示方法にも思いをはせることができるのは面白い。

さて、館内は土日祝日以外は撮影OKである。併設展として「アール・デコの花弁 旧朝霞邸の室内空間」も開催されており、同時に朝霞邸の装飾美術も堪能できるという仕掛けだ。個人的には装飾美術にも関心があるが、混乱するので、まずはボルタンスキーの作品を見て回ることにする。

入り口わきの教育普及のための部屋(ウェルカムルーム)でボルタンスキーの本展にちなんだインタビュー(30分強のしっかりした内容である)映像を見ることができる。この映像自体は庭園美術館のホームページでも見ることができるので、事前に知識を仕入れてからいくのはいいかもしれいない。

見た目の作品のインパクトもさることながら、現代美術はみただけでは「は?」と思うような作品もある。作家の背景や、実はこれは・・・的な意図を知るとより作品を理解でき、また予備知識のない最初のもやもやした印象に加えて、意図を知ったうえであらためて見えてくるものが重層的に重なるのは面白い体験である。ボルタンスキーの作品はそもそも思索的で示唆に富んだものなので、やはりこのインタビューは外せない。

【参考】世田谷文学館「上橋菜穂子と<精霊の守り人>展」の見ごたえ

たとえば、新館の映像作品でこの展覧会のサブタイトルともなっているアニミタス(スペイン語で小さな魂の意。チリでは交通事故でなくなった人に手向けられた路傍の小さな祭壇をアニミタスと呼ぶ)という映像作品は、南米チリの標高が高い砂漠(それゆえ星が良く見える)に、多くの小さな日本製の風鈴がつるされ小さく鳴っている映像である。この風鈴の配置は、ボルタンスキーが生まれた日の星の位置を示している。

行こうと思えば行けるかもしれないがおよそ遠くて(おそらくは見に行くことはしないだろう)不便な場所に、この風鈴たちはあってかすかに鳴り続けている。そして、今この瞬間もゆっくり朽ちてゆき、作品は保存されることなくそのまま朽ちるに任せているのだという。そういった背景を知り改めて作品を見ると、この印象的な作品から受ける感慨にあらためて様々な重層的な意味や感情が呼び覚まされていく。

サイトスペシフィックな歴史ある建物での展示はいわゆる旧館のアール・デコの邸宅のあちこちにしかけられた断片的な話声の作品が典型的だろうか。日本の外交となったこともある華やかな場所に、断片的で前後の文脈のない言葉が意味ありげに部屋の各所に仕込まれた小さなスピーカーから囁かれる。スピーカーはゆっくりと90度ほど回転しているようで、音が各所から聞こえるようになっているらしい。時々思いがけない角度から聞こえてきてぎくっとする。

この歴史ある邸宅には亡霊がいそうだ、というボルタンスキーの直感から作られた作品である。いわくある歴史的建造物のそこここから囁かれる意味ありげだが断片的な会話や独り言のようなつぶやき。まさにさざめく亡霊のように、はっきりと目に見えるわけではないが存在を感じさせるようなひそやかな感覚を味わえる。

作品数はそれほど多くはないが、じっくりとこの個展会場からのメッセージに耳を澄ませ、感じ取ろうとするとそれなりに時間もかかり満足感もある。

なにより紅葉の美しい、アール・デコの華と呼ばれる旧朝霞邸である。秋というより冬のはじまりの静かな休日に訪ねてゆき、しばし遠くて根源的な何かに思いをはせるのは悪くないことのように思う。(東京都庭園美術館にて12月25日まで開催)

 

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齋藤祐子

齋藤祐子(さいとう・ゆうこ) 1984年、筑波大学卒。現在、文化施設に勤務。文化政策や現代美術、落語等の分野に関心が深い。