<アニメ「君の名は。」は残念?>無理のある「とってつけたような設定」に違和感[ネタバレ注意]

映画・舞台・音楽

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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大人が色々余計な知識をもっていることは大抵マイナスの方向にはたらくと思っている。「君の名は。」(新海誠原作・脚本・監督)というアニメ映画が面白いらしいと評判だが、どうも食指が動かなかった。
「君の名は。」と言えば、真っ先に思いつくのが脚本家・菊田一夫の代表作「君の名は」である。1952年にラジオドラマで放送されたこの作品の聞かせ所は、主人公・真知子と春樹の会えそうで会えないすれ違い。こちらの「君の名は」と「君の名は。」は全く違う話らしいが、後者の方にもすれ違いはあるのだろうか。
アニメ映画「君の名は。」では、男子高校生と女子高校生の体が意識が入れ替わってしまうそうが、その設定の名作には山中恒の児童文学「おれがあいつであいつがおれで」を大林宣彦監督が1982年に映画化した「転校生」がある。尾美としのり、小林聡美の鮮烈な演技が目に焼き付いている名作だ。
さらにタイムトラベラーものでもあるらしいが、若い世代のタイムトラベルというと、筒井康隆のジュブナイルSF小説をやはり大林宣彦監督が1983年に映画化した 「時をかける少女」がある。のちにも色々映像化されるが、原田知世主演のこの作品が一番の秀作で、こちらも名作と名高い。
タイトルや設定を同じくするアニメ「君の名は。」はどうなのか、と邪推ばかりしてしまう大人は多いはずだ。
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さて、いろいろと屁理屈をこねているうちに、「君の名は。」の興行収入が200億円超え、邦画としては15年ぶりの快挙である、というニュースが聞こえてきた。さすがにそこまでとなれば見ないわけには行くまい。と、いうことで遅まきながら「君の名は。」を見た。
筆者が足を運んだ渋谷の映画館にも多くの大人の客がいたが、同じような考えで見に来た人もいるのではないか。エレベーターに同乗したシニア夫婦が次のような感想を話していた。

妻「私は好きだったけどね、若い人は楽しいんじゃないのこういうの」
夫「そういうことだな」

「君の名は。」は多くの若い人にきっと単純なラブストーリーとして見られているのであろう。だが筆者のようなひねくれた大人(けっこう多いはずだ)は単純なラブストーリーとしてみることは出来ない。
なぜなら、ストーリーを展開するための「とってつけたような設定」が目につきすぎるのである。ヒロインの女子高生・宮水三葉は女系で継いできた神社の長女であるが、その伏線が唐突に出てくる。
三葉の父親がいま町長選挙に出ているという設定はなぜ必要なのか。
相手役の男子高校生・立花瀧がバイト先の先輩奥寺ミキ(声・長澤まさみ)の存在はなぜ必要なのか。
立花は入れ替わったときに記憶した風景のスケッチだけを頼りに三葉の住む糸守町を探しに行くが、探しても探しても見つからないのにラーメン屋で唐突に見つかるのは都合良すぎないか。(糸守町は3年前に隕石の衝突によって消滅したために日本中に知られた町なのに)
立花の三葉探しに、先輩の奥寺ミキを同行させる理由はどこにあるのか。
隕石の衝突によって消滅した町というのは明らかに3・11のメタファーだがこれをタイムトラベラーがなかったことにしてもよいモノなのか。
ラストシーンは隕石の衝突がなかったことになった世界。そこでは互いを探し求める三葉と立花がある階段ですれ違う。見つめ合い互いに「君の名は。」と言って、終わる。
2人とも答えないのでここは開かれた結末と言うことになるが、閉じられた結末の方が良かったと筆者は思った。
 
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