<野球の監督はなぜユニフォームを着ているのか?>選手が監督を代行したPL学園こそ高校野球のあるべき姿?

社会・メディア

藤沢隆[テレビディレクター/プロデューサー]

 
野球が他のスポーツと明らかに違うことのひとつは監督がユニフォームを着ていることです。
では野球の監督はユニフォームを着なければいけないのかというと、公認野球規則がユニフォーム着用を義務づけているのはプレイヤーだけですから監督は着なくても良いのです。
メジャーリーグでは50年にわたりアスレチックスの指揮をとったコニー・マック監督が最後までスーツにネクタイ姿で通しました。彼は1934年にベーブ・ルースやルー・ゲーリックが来日した時の大リーグ選抜チームの監督ですがこの時もスーツ姿でした。
メジャーリーグでは昔は彼以外にもユニフォームを着ない監督がいたようですが、ここ60年ほどはいません。日本プロ野球にはひとりもいません。高校野球も基本的には同じですが、ユニフォームを着ていないと試合前のノックができないなどのルールがあるようです。
ではなぜ野球の監督はユニフォームを着るようになったのかという理由ですが、いろいろ語られてはいるものの定説はないようです。私は、野球の監督がプレイヤーなみに、ある時はプレイヤー以上にプレイをするから当然だと思っています。
サッカーをはじめ、多くの球技はひとつのプレイが長く続き展開が早いので試合中に監督が細かい指示をすることは不可能です。ラグビーなどは監督が観客席にいたりします。ところが野球はというと、ひとつひとつのプレイがとても短い、妙な言い方ですが“超断続的な球技”です。
投球の1球1球の合間などの切れ目が1試合に少なくとも200回から300回もあり、この時間的余裕を使って監督が選手に細かい指示をすることが可能なのです。
ある高校野球監督のインタビューを聞いていてびっくりしました。この名監督と言われる方は投手には自らが全投球のサインを出し、攻撃時にも打者へ全ボールの指示を出していると語ったのです。このほか守備フォーメーション、走塁などありとあらゆることをこの監督が選手に細かく指示していることは言うまでもありません。
こうなるとこのチームでゲームをしているプレイヤーはこの監督ですからユニフォームを着ているのは当然で、選手はその意のままに動かされている“駒”にすぎないのではないかと思えてきます。
甲子園の試合を見ていると時々こうした高校生が完全に“駒”になっているチームがあり、なんだか悲しくなることがあります。高校野球なんですから、試合中に監督がやる仕事もできるだけ高校生にやらせたら良いのでは、と思いませんか。
この夏の大阪地区予選、名門PL学園は試合中の監督の仕事をひとりの選手が果たしました。昨年部員の不祥事で前監督が引責辞任、その後、任監督が決まらず、やむなく校長先生が監督に就任しました。
校長監督はユニフォームを着てはいるものの野球経験がなく采配を振るうことはできませんので、選手の間で信頼の厚いひとりの部員に試合の采配をまかせました。この夏、PL学園はこの言わば監督代行選手とキャプテンを中心に選手たちみんなで相談しつつ試合を進めました。
そして、ついに5年ぶりに決勝戦にまで勝ち上がったのです。残念ながら大阪桐蔭に敗れ甲子園には一歩届きませんでしたが、9回最後の攻撃で代打で起用されたのがこの監督代行選手でした。彼自身は別の選手の代打を考えていたのですが、キャプテンがここはお前しかいないと送り出したのでした。
試合後、校長監督は『決勝まで進み、選手の精神年齢は確実に上がったと思います』と語っています。日本学生野球憲章には、学校教育の一環としての野球部活動、と謳われていますから、今回のPL学園はその趣旨に適ったと言えそうです。
野球という球技の性質上、試合中に果たす監督の役割も重要なプレイの分野です。ですから学生野球なら試合中の監督の役割も学生がやる、これが当然ではないでしょうか。
大人はユニフォームを着ないで管理責任者としてベンチにいるものの、采配を含めた全プレイはすべて学生がやる、とくに大学野球などは監督に動かされる駒になんぞならずに学生自身で試合を動かすべきだと思います。
高校野球ですが、春のセンバツは高校生采配でやるなんてアイデアはどうでしょうか。クレバーでチームワークの良い意外なチームが選抜され、大会を勝ち上がったりするんじゃないかなあ。それはそれで楽しそうでは。
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