銘記すべきは9月2日「敗戦の日」

政治経済

植草一秀[経済評論家]

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ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺、日本軍による南京での大虐殺などが戦争犯罪行為として断罪されてきたが、米国による日本での文民大虐殺の犯罪性は突出している。

1945年8月6日午前8時15分、米国は広島に原子爆弾リトルボーイを投下。きのこ雲の下に幾万の人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでに14万人もの命が奪われた。同年8月9日午前11時2分、米国は長崎にプルトニウム原子爆弾ファットマンを投下。長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が殺害された。負傷者も7万人超に達した。

1945年3月以降、米国は日本の主要都市において焼夷弾による空襲を繰り返した。3月9日から10日にかけての東京大空襲では東京の一般市民8万4000人が殺害された。暴風が吹き荒れるなかで米軍は焼夷弾攻撃を展開。無辜の市民を意図的に焼き殺した。焼夷弾による空襲は日本全国の主要都市で実行された。

これらの戦争犯罪行為によって50万人以上の一般市民が虐殺された。しかし、米国による戦争犯罪は追及を受けていない。5月の広島サミットに米国のバイデン大統領が出席したが戦争犯罪に対する謝罪はなかった。

広島でのサミット開催で核兵器廃絶が討議されぬなら、なぜ広島の地が選ばれたのかを理解することができない。岸田文雄氏は生涯の大半を東京で生活してきた人物だが、出自を辿れば広島出身者。長崎と並び世界に例のない戦争被爆地出身の首相として核兵器廃絶に向けてのアピールを示すべきだった。ところが、岸田氏が満を持して発表した「広島ビジョン」に表記されたのは何であったか。

「核兵器は役に立つ兵器である」との宣言だった。

米国のバイデン大統領は広島の原爆資料館に「核ボタン」を持ち込んだ。広島の地を訪れて「核兵器の有用性と核使用方針の堅持」を全世界に誇示したのである。この米国の蛮行に対して何一つものを言うことのできない岸田文雄氏。

岸田文雄氏は昨年末、日本の軍事予算を倍増する方針を示し、実際に軍事予算倍増の政府予算制定を強行した。5年間で27兆円だった防衛予算をいきなり43兆円にかさ上げする方針も決定した。その財源を調達するために大増税を実施する方針まで示している。43兆円への軍事費倍増の根拠と背景は何であったのか。

米国のバイデン大統領が「私は三度にわたり日本の指導者と会い、説得した」と口を滑らせた。岸田首相が唐突に示した軍事費倍増政策は必要不可欠な費用を積み上げて提示されたものでない。米国の命令に隷従して突如提示されたものだった。

その大半は米国の時代遅れ軍事装備品不良在庫一掃に充当される。つまりは、米国が岸田首相に上納金倍増を命令し、岸田氏が尻尾を振ってこれに応じたものである。1945年3月以降、日本文民の犠牲者が激増した。沖縄では本土防衛を名目に市民が捨て石にされた。

米国の戦争犯罪行為は糾弾されるべきであるが、日本政府が無謀な戦争に突き進み、最後の最後まで降伏を拒み、米国による大量破壊兵器使用を誘導したことを見落とすわけにはいかない。

開戦前に日本の敗北は決定的であったにもかかわらず、日本政府は無謀で不毛な戦争に突き進んだ。戦前の日本に基本的人権は存在しない。天皇を現人神と位置付け、その天皇に忠誠を尽くす臣民として国民を位置付けた。多くの国民が暴政の犠牲になった。

8月15日は日本政府がポツダム宣言を受託することを公表した日であって戦争が終結した日ではない。9月2日に東京湾上の米戦艦ミズーリ号甲板で降伏文書の調印式が執行された。9月2日の降伏文書への調印によって戦争は日本敗戦で終止符が打たれた。9月2日を「敗戦の日」として歴史に刻むのが適正である。

ポツダム宣言受諾を公表した8月15日を「終戦記念日」と表現したのでは問題の本質が見えなくなる。多くの一般兵士は間違った戦争に引きずり込まれて犠牲になった。英霊ではなく無謀な戦争の犠牲者なのである。敗戦から78年が経過したいま、歴史認識を新たにする必要がある。

 

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