<幼稚な視聴者と未熟な制作者>牛乳石鹸のPR動画を炎上させるのは誰?


藤本貴之[東洋大学 教授・博士(学術)/メディア学者]

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最近、企業や自治体などの広告やPRのインターネット動画に対し、不適切を理由とした議論が起きたり配信が中止になったりと、いわゆる「炎上動画」騒動が急増している。

本年7月にサントリーの新ビール「頂(いただき)」の広告用インターネット動画「絶頂うまい出張」が、卑猥感を想起させるような女性の描き方から、「女性差別的である」「男性目線に過ぎる」といった批判を受け、配信中止となった。

同じく7月にタレントの壇蜜が主演した宮城県の観光PR「仙台・宮城【伊達な旅】夏キャンペーン2017」の2分37秒のネット動画も、同様に「性的な表現含まれる」「卑猥である」として大きな批判がおき、先日とうとう公開中止に追い込まれた。

昨年では、鹿児島県志布志市がPRのために作成したPR動画「うなぎ少女」がわずか5日で配信停止になったことも記憶に新しい。

そんな中、「牛乳石鹸」のPRネット動画が「不快」であるの批判が多発、その炎上状態が話題となった。もちろん、上記のような卑猥系動画とは全く異なるものの、同様に「不謹慎だ」とか「不愉快だ」といった指摘が多い。

しかし、今回の牛乳石鹸のPR動画に関して言えば、炎上商法でもなければ、批判されたりするような要素はほとんど見られない。にもかかわらず、批判を含めた大きな話題となってしまう理由はなぜなのか。

<牛乳石鹸ネット動画のプロット>

「牛乳石鹸」のPR動画について改めてまとめてみる。この2分43秒のネット動画は、大きく6つのシーンで構成されている。

(シーン1)息子の誕生日の朝、妻にケーキの購入を頼まれる主人公(父=夫)。仕事の疲れ、通勤中のバスで、虚ろな顔で座席に揺られる。
(シーン2)仕事が終わり、誕生日ケーキとプレゼントを買っての帰宅中、仕事のミスで叱られ、肩を落とす寂しそうな後輩が目に入る。思わず、落胆している後輩を励ますために居酒屋に飲みに誘ってしまう。居酒屋で妻から(督促)の着信が携帯に来るも、無視。
(シーン3)飲み会から帰宅すると、妻が呆れ顔で「何で飲んで帰ってくるかな」と苦言。主人公は、伏し目がちに、いたたまれない表情で風呂に向かう。
(シーン4)湯船に浸かりながら、自分と自分の父を比較し、重ね合わせ、物思いに耽る。風呂には牛乳石鹸が。
(シーン5)風呂から上がり、主人公は妻に小さな声で「さっきはごめん」。改めて家族での息子の誕生パーティが始まる。
(シーン6)翌朝。いつもと変わらぬ通勤の風景。バスの中で、満足そうな微笑を浮かべて座席に揺られる主人公。そして画面にテロップ「さ、洗い流そ。」

オープニングとエンディングのシーンでは主人公の毎日の出勤風景を描かれるが、両シーンで主人公の表情は微妙に異なる。そこでは牛乳石鹸が主人公の重い気持ちを洗い流す象徴として、気持ちを切り替えたことも暗示される。家庭と職場、父親像の理想と現実という男性サラリーマンの葛藤を描き、そのもやもやを牛乳石鹸が洗い流す、というプロットである。

・・・と、このように改めて解説を書けば、批判されるような内容ではなく、議論が起きるような素材とも思えない。しかし「説明を書けば」という点が問題で、説明をしなければよくわからない、ということも事実だ。この「改めて解説すれば問題ないけど、パッと見ではいまいちよく分からない」という点が今回のPR動画騒動のポイントである。

普通のテレビCMのような感覚で見てしまえば、「子供の誕生日の約束をすっぽかして職場を優先する父」の瑕疵を牛乳石鹸で洗い流すことで「なかったことにする」描写が印象づいてしまい、それに対して不快感を感じる人もいるだろう。失態も洗い流せる牛乳石鹸・・・そんなバカな!である。職場を優先した「男=仕事」を描き、家庭の犠牲を肯定しているようにも取れてしまうわけだ。

<問題は視聴者の映像読解力の低下?>

テレビはもとより、ネット動画も含め、近年の映像への視聴者の感覚は極めて幼稚だ。いちいち説明をしなければ理解してくれないという前提のもと、リアクションベースの出演者と、その発言をテロップにして埋め尽くすテレビ番組は多い。視聴者は何も考えずに、パッと見で理解できるものしか「理解」してくれないし、もはやテレビ自体がそのように作られている。

ユーザーがいつでもどこでも無限にコンテンツを選択できるスマホとネット時代のスタイルに、テレビも最適化されているのだ。

その意味では、映画でもないのに解説もなく、2分43秒もの意味深で暗示的なストーリーをCM動画として見せられれば、誰も理解してくれないのは自明だ。批判の中には内容以前に、「理解できない」「意味がわからない」という、いわゆる「作り手の意図が不明」というものも多い。

よく見てみれば、動画のプロットと「牛乳石鹸(の洗浄力)」の暗示を読み解き、制作者の意図を関連づけることはできる。しかし、それはテレビドラマや映画を見るように、凝視してストーリーを追わなければならない。ネットのPR動画とはいえCMである。その読解を視聴者に求めるにはあまりに難易度が高い。

視聴者の映像に対する「読解力」が低下している今日、見る側に「理解する努力」を強いる広告は、今の時代の広告としては適しているとは言い難い(その是非はさておき)。結果、CM/PR動画としては、たんに「子供との約束をすっぽかしても、石鹸で洗い流せば問題なし!」という理不尽な印象だけが残ってしまう。

ちゃんと見みれば、良く作り込まれた繊細で奥深いショートムービーであることはわかるだけに、「最近の炎上動画」として、他の卑猥系動画とひとくくりにされて論じられてしまうのは残念ですらある。

<作り手の未熟な現実把握能力も騒動の要因?>

牛乳石鹸のPR動画騒動は、視聴者の映像に対する読解力の低下にある・・・とは言うものの視聴者・消費者が悪いとも、騒動の加害者だとも言い切れない。なぜなら、「そういった映像の見方」が今日的であり、それにそぐわない作り方をしてる方が、むしろ問題でもあるからだ(その良し悪しや是非はさておき)。

テレビを見れば、視聴者のニーズや感性に合わせて、大量のテロップで画面を埋め尽くし、細かいカットで画面が切り替える。視聴者に読解力を求めるような作りはしていない。

その意味では、牛乳石鹸のネット動画のようなケースは、今日の映像という表現のあり方を問うている現象であるように思う。いわば、作り手と受け手のニアミス、すなわち双方の「感覚の格差」が生み出す問題であるからだ。

インターネットでのCMやPR動画でも、その多くは旧来のテレビ制作会社やCM制作者が作っているはずだ。間に入る代理店やプランナーもテレビ業界人が多いだろう。特に、大企業や自治体などのCMやPR動画は、テレビの座組みを踏襲しているものばかりだ。

そういった中で生まれる「時間や表現的な制約のゆるいネットでは、テレビではできない過激な表現、挑戦的なことをしよう」という作り手の意識。もちろん、そこには「所詮ネットなので」という甘い意識も働く。

その結果、テレビ業界人たちの「ネットならテレビではできないコトもできる」という願望と「所詮ネットなんで大丈夫」という甘い認識が、視聴者・消費者の感覚やニーズから乖離したネット動画を作ってしまう。このような作り手の未熟な現実把握能力は、大企業や自治体による卑猥系動画を多発させてしまう要因のひとつでもあろう。

スマホを介して情報メディアとしてのテレビとネットは同化し、その影響力の格差がなくなっている今日、テレビもネット動画も同様の視点と基準で見られるようになりつつある。WEBだから、ネットだからといって見方や基準を変えてくれるような視聴者も減っている。(テレビがネット化するのか、ネットがテレビ化するのかはさておき)

些細なことからSNSで騒ぎ立てるネット民、ネットアクティビストたちの過剰な正義感(?)もあるだろうが、それ以上に、視聴者と制作者の共犯関係が、今回のようなネット動画に起因にする騒動を生む最大の要因ではないか。ネット動画はもはや、テレビ同様に、そのメディア特性やや視聴者ニーズを勘案した絶妙なバランス感覚で制作しなければならない程度に成熟しているのだ。

そして、このような騒動が起きれば起きるほど、映像表現に対して過剰に自主規制をしてしまったり、過敏になってしまう。ひいてはそれが映像表現を矮小化させる。テレビとネットが同化しつつある今日、ネット動画の世界にも表現の矮小化、すなわち「つまらなくなる化」の波が押し寄せている。それが今後、更に加速する危険性は極めて高い。

牛乳石鹸のPR動画騒動は、ネットとテレビの垣根が曖昧になりつつある今日の映像表現のあり方について、改めて考えさせられる出来事であると痛感させられる。

 

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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『だからデザイナーは炎上する(中央公論新社)』『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。