無能なプロデューサーやディレクターがテレビ業界の人材を疲弊させる?〜ADはブラックではない

テレビ

高橋秀樹[放送作家]
2013年11月5日

 
今時「きつい」「汚い」「危険」の3K職場では人材が集まらない。
だから、テレビ番組のADはブラックではない筈である。たとえば、週5日の帯の情報番組や、報道番組では、急な取材が入らない限り、週2日きちんと休みがあるのがスタンダードである。3K 職場にしているのは、たいてい無能なプロデューサーやディレクターが元凶であるが、そういう人も労務管理の人から厳しく言われて、ADは、むやみに長居させずに帰すことを励行しなければならなくなっている。
だいたいが、無能なP(プロデューサー)やD(ディレクター)は、ただ、自分の権威を示すだけや、自分の非効率な仕事が原因で、ADを長時間、仕事場に留め置くことになってしまうが、そんな輩(やから)は、当然のごとく淘汰される社会になりつつある。
まだ、湯水のごとくお金があったテレビ界の最後の昭和50年代にADをやっていた僕は、その間、一度もつらいと思ったことがなかった。給料は月にたった6万円、4畳半一間の間借りだったが、食費はほぼゼロである。テレビ局に来れば弁当が食えるし、夕飯はステーキ丼をとっても、打ち合わせ費としてディレクターが払ってくれた。
PやDのお酒に付き合って毎晩、寿司屋に行くのも僕の仕事だったがそこでは、テレビ番組作りの秘伝が語られるし、興味津々で話を聞いているのはつらくなかった。当時のテレビは良い意味での徒弟制度でもあった。つらいことといえば、毎晩、寿司なので、寿司が嫌いになったことくらいだ。
ところで、今の若い人は、僕のAD時代のような生活は当然いやだろう。自分の時間が欲しいだろう。自分が自由に使えるお金が欲しいだろう。キラキラ光っていた(今も多少輝いているかもしれないが)テレビの魅力だけでは人材を呼び込めない。人材が呼び込めなければ魅力のあるほかのメディアに負けてテレビはジリ貧になるだけだ。
そこをよく考えてほしいと思う人たちが、いわゆる、無能なPやDである。今も徒弟制度だと勘違いして偉そうにふるまってADをこき使う。それでは、優秀な若人をあたら無駄に疲弊させてその人の可能性や、自分が属しているテレビ自体をダメにしていることに気づかない。
提案である。
昔、「PやD はADのなれの果て」と言われたものだが、なれの果てならなれの果てらしく、PやDになったら、所属する会社を離れてフリーになればよい。PやDは、基本的にフリーの実力勝負が本来の姿だ。映画の世界に倣えば、若い生活の安定しない助監督時代は会社から給料をもらい、監督になったら堂々のフリー、一本一本真剣勝負ということだ。
淘汰の原則が働かず、年を経ればみなPやDになれるのはおかしい。そしてそんなPやDが、ADをブラック職業にしている元凶なのだから、テレビのためにならないのは明らかである。