<「小さな裸の王様」はなぜ生まれたのか?>「ルサンチマン(妬み・嫉み)」で読み解く「坂東英二・植毛謝罪会見」の痛さ


高橋秀樹[放送作家]
2013年11月18日

 

世間はルサンチマンで、できている。「妬(ねた)み嫉(そね)み」で、できている。それを坂東英二は見誤ってしまった。だから、あんな痛い謝罪会見になってしまったのである。

大体において、世間が芸能人を見る目の多くには妬み嫉みの成分が多く混じっている。たいした才能もないのに、ちょっとかわいいだけで、運が良かっただけで、楽をして私たちより多くの金を稼ぐ人。それが世間の意地悪な側面から見た芸能人だ。その、世間の妬み嫉みを喚起しないように、芸能人は多大な努力を払う「今の時代をつってくれた極貧時代の話」「見た目とはずいぶん違うドジな私」「しゃべってもいい程度の身体的劣等感」。

坂東英二は、この最後の手段を使って再び、世間の支持を得ようとした。「こんな植毛をしている本当なら禿頭の私」「こんなことに7500万円も使ってしまった哀れな私」「それを税金としておさめることも知らなかった馬鹿な私」以上のカミングアウトで世間は爆笑に包まれて、許してくれるという計算だったはずだ。ところが。

ところが世間は逆の反応でこの会見を見た。

  • 「はげていることを隠す必要のあるキャラクターじゃないのに」
  • 「7500万円も使えるなんて『私たち庶民』には考えられない」
  • 「坂東さんて利殖に詳しかった人よねえ」

全部裏目である。

笑いで世間を納得させるほどには坂東英二は笑いの人ではなかった。そこも見誤った。世間の理解は「坂東さんは、プロ野球出身なのに、うまいこと転進して、芸能人になったけれど、時々面白いことを言うだけで、大物然として、芸能界での地位をたもっている人」であろう。

この視点にはやはりルサンチマンがたっぷり含まれているのだから、それを払拭するには、具体例言ったりせずひたすら謝罪するのが上策だったのである。残念ながら、それを気づかせてくれる優秀なスタッフが、坂東英二の周りには居なかったのだろう。

そんなことが、板東英二を「小さな裸の王様」にしてしまったのだ。