<不要不急は不用不救>安倍官邸の対策ミスでコロナ患者はとうとう1000人超に

政治経済

山口道宏[ジャーナリスト、星槎大学教授、日本ペンクラブ会員]

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「不要不急」とは、広辞苑によれば「どうしても必要というわけでもなく、急いでする必要もないこと」とか。今般の「コロナ」(対策)で、国はしきりに国民に対してその3字を使って「外出を控えて」と勧告した。しかしながら、1ケ月。政府の打ち出す「対策」は国内外の専門家も指摘のように後手の連続で、国民はひたすらマスクを頼りに狼狽し、かの大戦で頭上飛来の米国B29へ竹やりで挑んだ同胞のようだ。

3月4日現在、我が国の患者数はなんと全国1,000人を超えた(死者12人)。いまや国民にとって安倍政権とは「不用」で「不救」 が相応しい。

「つくづく学校給食がありがたい」は、小学生の子をもつ仕事帰りの母親だ。新型コロナウィルス対策への政府による学校の休校要請の波紋だった。休校で子どもがウチにいれば親の心配は真っ先に「ご飯は」「留守番は」。ましてやどこの子どもも健康体とは限らない。日頃から個別に「いのち」に「くらし」にケアを必要とする子ども、「ご飯」も「留守番」も一人では難しい子どももいるのだ。

しかし、連日のように会食三昧の安倍首相らお友達内閣には、そんな当たり前の<生活者目線>を持ち合わせていない。いざ「子どもがウチで一人になったら」「親が会社を休むとなったら」、一体どういうことが起きるかがまったく<想像>できない。それは「待機児童」でママが放った「日本、死ね」の再来の日がじわり近いことを意味しようか。

「ご飯はどうしよう」「お留守番が不安で」「会社は休めないし休めば給料は下がるから」。

だから、対策とは「ご飯」と「仕事」が連動することの気づきは当然。医療や介護の適切な公的な措置はもとより、休校、休業を要請となれば、当初から「子どもの扶養」と「親の休業補償」は公費負担でという ”セットの施策” が最低限必要はいうまでもない。

とはいえ、ニッポンは「ヘンな国」のようだ。このウイルス感染では仏国のルーブル博物館で職員が「休む権利」を履行し閉館になった。同国では労働法で生命に差し迫った危険があるときは職務から<退く権利>があるという。一方の我が国では「だって、働かなければ」である。

ニッポンの労働者が貧困だから?  労働組合が弱いから?  人権意識が低いから?  国の社会政策が上手いから?  我が国では差し迫る<感染の危機>というのに労働者自身が “萎縮している” ことが。つまりは、労働者から自身と家族の健康を守るため、国の責任で「しっかり受診体制を!!」「しっかり生活保障を!」「しっかり賃金保証を!」そして「しっかり休ませろ!」と主張するのが本来でしょ、と。

いまからでも遅くない。組合と野党とメディアは、徹底した<生活者目線>で、いのちの安心と安全を守る闘いを!! こちらも「不用」「不救」と言われないように。

 

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