日本に主役が張れる喜劇役者がいない危機

テレビ, 映画・舞台・音楽

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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日本には今、ドラマや映画や舞台で、主役を張れる喜劇役者がいない。笑いをやっている芸能人はそれこそ無数にいるが、喜劇をやれる人はいない。もしかしたら「今の売れている立場を捨てて」主役になれる人はいるかも知れないが、思いつく人は皆小粒である、ないしは、お年を召しすぎている。

何故かコントをやる芸人も増えてきた。だがこの人達のやっているコントは米国で言うところのスケッチであり、「コントは芝居を凝縮したもの(木林信彦)」との点を理解している人がほとんどいないので、喜劇はできないだろう。言い添えれば、かもめんたるの岩崎う大、インパルスの板倉俊之、蛙亭の岩倉美里らは、作者として期待する。

喜劇役者を待望する人の希望の光は、山田洋次監督の松竹映画100周年記念作品「キネマの神様(2021年公開予定)」に主演する志村けんであろう。だが、志村が新型コロナウイルス感染で亡くなったことによって、志村が主役を張れる喜劇役者になるという夢は潰えた。志村の代役が沢田研二になったことでも、喜劇役者がいないことは明白だ。

かつて、日本には映画やドラマや大きな舞台で主役を張れる喜劇役者という系譜が厳然としてあった。

それらを以下に示す。()内は代表作ないし、筆者好きな作品だ。

古川ロッパ(『ガラマサどん』)、榎本健一(『雲の上団五郎一座』)、柳家金語楼、(『誰がために金はある』)清水金一(『シミキンの拳闘王』)、八波むと志(『雲の上団五郎一座』)、三木のり平(『のり平の三等亭主』)、益田喜頓(『歌ふ狸御殿』)、大村崑(『頓馬天狗』)、有島一郎(『サラリーマン出世太閤記』)、伴淳三郎(『アジャパー天国』シリアス『飢餓海峡』)、藤田まこと(『てなもんや三度笠』シリアス『必殺仕事人』)、森繁久彌(『次郎長三国志』『社長シリーズ』『駅前シリーズ』シリアス『夫婦善哉』『屋根の上のヴァイオリン弾き』)、植木等(『ニッポン無責任時代』)、ハナ肇(『馬鹿まるだし』)、谷啓(『図々しい奴』)、渥美清(『男はつらいよ』『続・拝啓天皇陛下様』)、フランキー堺(『幕末太陽傳』シリアス『私は貝になりたい』)、加東大介(『南の島に雪が降る』)、小沢昭一(『「エロ事師たち」より 人類学入門』)、伊東四朗(『おしん』)、由利徹(『雲の上団五郎一座』』)、芦屋雁之助(『裸の大将放浪記』)、いかりや長介(『踊る大捜査線』)、堺正章(『時間ですよ』)、青島幸男(『意地悪ばあさん』)、志村けん、西田敏行(『西遊記』)北野武(『その男、凶暴につき』)藤山寛美(『松竹新喜劇』)・・・多士済々。

なお、萩本欽一は日本のテレビ史で特筆すべきコメディアンである。だが、萩本流の不条理コントはやっても、自ら進んで演技をすることはない特異な芸人なので、ここには含めない。

彼らはみな「喜劇もできる俳優」なのではなく、「真面目な演技もできる喜劇役者」であった。喜劇役者は年ふるに従って、人に感心されたい森繁、伴淳、フランキー堺らの演技派系、その確かな演技力で主役を支える森川信、三木のり平、由利徹などの脇役系に分かれて行くことになるが、そのどちらの系統であっても、現在の日本には、喜劇役者がいないのである。

今、誰も喜劇役者がいないそのすきを突いて、誰か、喜劇役者で成功しないだろうか。これは筆者の夢想である。

[参考]『週刊さんまとマツコ』はなぜそっちへ行った?残念な理由

筆者はかつて岡村隆史に期待していた。体技(体を使った芝居)ができるからである。しかし今、テレビでバラエティをやっている姿を見ると芝居などは面倒だと思っているようだ。大変だものなあ、喜劇の稽古は。

宮迫博之には目があったのだが惜しいことをした。時代が悪党にも寛大だった昭和だったらよかった。

では、『裸の大将』もやったドランクドラゴン・塚地武雅はどうだろう。『間宮兄弟』もいい出来だった。彼を主演にしてやろうと思う監督が現れれば、大化けするかもしれない。

チョコレートプラネットの松尾駿はどうか。モノマネがで上手いのは喜劇役者の素質ありだ。往年の喜劇役者はたいてい安安と声色を使った。だが、喜劇役者として大成するのはモノマネ芸を封印した後というのは皮肉なことだ。

東京03の角田晃広がお笑い枠でドラマに呼ばれた時は、シリアス俳優に混じってドラマで互角以上の爪痕を残さないといけない。シリアス俳優に合わせた芝居をしているようではだめだ。

大人計画の阿部サダヲはどうだろう。1970年生まれだからまだ若いし、劇団出身ということは喜劇役者としては本流であろう。宮藤官九郎という座付作者がいることも、エノケンと菊谷栄、ロッパと菊田一夫、という作者とのコンビを想起させて頼もしい。だが、筆者は、主役も務めた『舞妓Haaaan!!!』などで、阿部サダヲの演技で笑ったことが一度もない。つまり残念ながら喜劇役者だと思ったことがない。ジジイの筆者の感覚が鈍麻したからだろうか。

柄本明はひたすらうまい。うまいを極めた役者になったので70歳を超えた今は喜劇性がもう薄い。「つかこうへい事務所」の『戦争で死ねなかったお父さんのために』に出た風間杜夫は喜劇の才能では随一だが、やはり70歳を超えた。

松本人志、浜田雅功、内村光良の3人が喜劇をやっている姿を筆者は思い浮かべることができない。芝居で笑いをとる様子が想像できないのである。竹中直人、大泉洋、三宅裕司らはどうか?・・・うーんファンが偏るか?

『男女7人夏物語』の明石家さんまはどうだろう。喜劇役者としての芝居は文句のつけようもないが、この人の場合、喜劇は余技のような気がしてならない。本業は喋りだろうから。

かくして日本では喜劇役者は絶滅危惧種である。いるのはイケメンの俳優ばかりである。これらの俳優が面白そうな演技もやってのける。「笑いもできる俳優」がいるのだから喜劇役者などいらないという主張もあるだろう。でも、(生物)多様性は、芸能界にとっても大切なのではないか。悲劇と喜劇のうち、喜劇の生きにくい日本のエンターテイメント界は、これからもっともっと韓国に差をつけられてしまうのではないか。

現われよ喜劇役者。

 

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