<クオリティが求められない時代>なぜ『巨大なテレビ』は『小さなネット・コンテンツ』に苦戦するのか?


藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)]

* * *

近年のメディア産業を巡る急激な地殻変動は、これまでの経済的な変革や技術革新よる社会変動とは大きく異なっている。それは、世代論や技術論ではなく、ライフスタイルの転換という部分に注目することで、初めてその本質が見えてくる。

例えば、分かりやすく「テレビ」という産業を例に考えてみよう。

従来、「しかるべき予算」と「しかるべき人材」によって「しかるべきクオリティの番組」を作り、「視聴者を満足させる」ことを目的とした「良い番組=視聴率が取れる番組」を作り出すことが、テレビ・メディアという広告産業を突き動かしてきた。

「良い番組=視聴率が取れる番組」を作るためには「しかるべき予算=巨額な予算」が求められ、それを拠出する「スポンサー」は、金額に見合った宣伝効果を持つ「良い番組=高い視聴率」を期待していたわけだ。

「スポンサー」の期待を裏切らない説得力は、世帯普及率99%を前提としたテレビの日常性にあった。

50年以上にわたってテレビを中心に構成された私たちの情報生活。巨額の予算をかけて「高い視聴率=高い宣伝効果」を持つテレビ番組を作ることは、消費者に広く宣伝を計るための唯一にして最大の訴求力と可能性をもった広告手法であった。

しかし、2000年代に入り、スマートフォンが急速に一般化したことによって、その産業構造は一変する。「お茶の間」を前提とした生活に組み込まれた「テレビ」よりも、遥かに日常性とパーソナル性の高い一人一台以上・個人普及率100%以上の「ケータイ」がテレビ以上の情報機能を持ち、情報生活の中心装置になろうとしているからだ。

「テレビ」から「スマホ」への情報生活の中心装置の移動は、着実に、私たちのメディアへの接し方とコンテンツの楽しみ方を変容させた。

まず、クオリティを追求することが、必ずしも消費者にとって「良いコンテンツ」ではなくなってきた、ということだ。

そもそもスマホの小さな画面や動画配信サイトの低画質の映像を見慣れてきた層にとっては、高品質・高画質なコンテンツでも、作り込まれたコンテンツでも、わざわざ「自宅の受像機」で見るためのインセンティブにならない。

むしろ見たいテレビ番組があれば、放送後「誰かがどこかで」録画した番組を動画配信サイトに「素早く」アップロードしてくれることを期待しているだろう。画質や視聴環境は低下しても、いつでもどこでも好きな時に視聴できる「利便性」の方が、コンテンツの質よりもプライオリティが高くなってしまっている。

逆に、明らかに悪質なコンテンツが、明らかに良質なコンテンツよりも高い収益と経済性を持ってしまっている事例が、近年、急速に増加している。むしろ、従来のメディア・コンテンツ産業の従事者から見れば、「仕事をするのがバカらしくなる」というレベルだろう。

テレビは今まさに、新しく生まれてきた「新しい消費者層」に向けて、これまで積み上げてきたビジネスモデルの大きな転換を迫られているのである。

 

【あわせて読みたい】

The following two tabs change content below.
藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・准教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員准教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。