<芸人で漫画家・田中光>漫画『サラリーマン 山崎シゲル』の人をおちょくる信念

高橋秀樹[放送作家]
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マンガ『サラリーマン 山崎シゲル』の主人公、山崎シゲルは超人である。しかし、その特異能力を、決して人の役立つ方向には使わない、と言う信念を持っている。持っているのは人をおちょくる時に使うと言う信念だ。
おちょくられるのは、直属の上司である、てっぺん禿げの部長である。定年間近だろう。山崎シゲルは、おそらく入社3年ほどの新人だが、この親ほども年の離れた部長を傍若無人におちょくる。部長のふところから30羽以上の鳩を出す。部長の短足をスラーっとした足に変形させる。部長自体を3Dコピーする。会社にUFOで乗り付けて部長に十字懸垂を披露する。
しかし、私が評価したいのは、こうした超人の側面ではなく山崎シゲルの「努力家の側面」なのである。
作者の田中光は版画学科という、大変特殊な大学を卒業し、芸人になった。残念ながらその芸は見たことがない。当然ながら売れなかった。そして、このマンガ『サラリーマン 山崎シゲル』を書いてちょっと売れた。画力があることははっきりわかる。ギャグマンガで画が下手なのは最低である。
僕らの世代(昭和20年代から30年代生まれ)は図抜けた才能のギャグ漫画家と同時代を生きてきた。『天才バカボン』の赤塚不二夫、『こまわり君』の山上たつひこ、『怪人アッカーマン』の新田たつお、『アギャキャーマン』の谷岡ヤスジ。そして僕がもう一人あげたいのは『伝染るんです』の吉田戦車である。
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吉田戦車が子育てに夢中の今、その空白に忍び込んできたのが『サラリーマン 山崎シゲル』の田中光である、という位置づけを、今のところはしておきたい。ただし、それは、不条理という文脈で2人をとらえてほしいということではない。吉田戦車のギャグはそもそも不条理ではなくわかりやすいし、田中光もまた同じ。
そこに通底しているのはやはり『おちょくる』というキーワードである。だから、2人のマンガを僕は笑うが、見て怒る人もいるだろうことは想像に難くない。怒るのは「体制の安住者」である。「体制の安住者」が怒る姿を想像するとこれがまたおもしろい。
山崎シゲルにおちょくられる部長は、若干の抗議の姿勢は見せるものの、決して怒らない、おそらく体制からはじき出されてしまったサラリーマンだからだろう。山崎シゲルと部長、こういう特殊なサラリーマンたちはどこに勤務しているのだろうか。森永製菓がうちの勤務だとしてもいい、ということになったらしい。
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お菓子は生存に必要なものではない。ルイ16世の治世下のフランス、飢饉によって、各地でパンが不足し、人々が苦しんでいる最中、王妃マリー・アントワネットは「それならケーキを食べれば良いじゃない」と答えたとされるが、このマリー・アントワネットと、山崎シゲルは、同類である。
だからこそ山崎シゲルと部長は森永製菓勤務が正しい(この論理展開大丈夫か)。森永製菓は、度量の広い会社なのである。
超人、山崎シゲルではなく、努力の人、山崎シゲルが好きだという話ににもどろう。ポニー・キャニオン版の単行本では、部長の机に到達するまでの階段を作り、引き出し中にご飯とおかずを詰め、部長を捕まえるために巨大な雀取りの罠籠を仕掛ける。
このとき、山崎シゲルは、努力の人である。ギャグは枷をはめたときに生まれる。『奥様は魔女』のサマンサが魔法を封じられたときに生まれるギャグだ。作者・田中光は、そこを常に頭に置くことだ。大きな才能が開花しようとしている。
[参考]

 
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