<障害者夫婦の権力関係>脳性マヒ者たちのコミューン「マハラバ村」はなぜ崩壊したのか?


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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脳性マヒ者たちのコミューン「マハラバ村」が崩壊、解体へと突き進む。そのきっかけを作ったのが、他ならぬ「さようならCP」(1972)の主人公の一人・横田弘の夫婦だった。はっきり言えば「奥さんの淑子」さんだ。

彼女は、脳性マヒ者(以下CPと略す)たちを疎外、差別しているはずの「健全者社会」に対して「抜きがたい憧れ」を誰よりも強く抱き続けていた。

彼女は家庭を持った時に考えた。

「これまで自分は結婚して家庭を持つなんてあきらめていた。だがこうして結婚して子どもも作り家庭も持てた。私は一人前になったんだ。それに、子どもはCPじゃなく、健全者だ。健全者である子どもは健全者の社会の中で育てるべきである」と。

こう主張する淑子さんに、さぞ横田は悩んだことだろう。大仏空(「マハラバ村」の開設者)の信頼が最も厚かったからだ。

この夫婦の場合、横田弘は重度の身体障害だが淑子さんは軽度。「軽度の妻が重度の夫の面倒を見るのは自然である」と言いたいところだが、ことは単純ではない。障害の重い軽いが“権力関係”に容易に転換する。

つまり、横田弘は、奥さんに世話にならないと暮らしていけないという“弱み”を持っていると言える。

だから淑子さんが、CPたちだけの社会=コミューン「マハラバ村」の中で健全者の我が子を育てたくない、ここを出て健全者の社会に入りたい、と強く主張したときに頷くしか術はなかった。リーダー格の横田弘が抜けたことで、ほかの家庭持ちも続いた。そして独身者たちも。

こうしてコミューン「マハラバ村」は、あえなく崩壊。彼らは川崎市や横浜市近郊に住まいをみつけ、生活の場を移したが「青い芝の会神奈川県連合会」を結成、活動を開始した。

他方、私は写真家になるべく夢を抱いていたのだが、小林佐智子(疾走プロダクション代表/原一男の妻)と出会ったことによって人生の目標が変化しつつあった。「映画を一緒に作ろう」と彼女に誘われたのだ。

横田のことを批判する資格はないのである。私もまた、女の誘いによって“転向”したのだから。

ま、冗談はさて置いて・・・。小林と私は、一緒に映画を作るとして、

「題材は何にするのか?」

「何を描くのか?」

を探して1年間悩んだ。そして身体障害の問題をドキュメンタリーで追求したらどうだろうか? と決断したのだ。

横田弘に、

「横田さん、あなたは大恩ある大仏さんにあれだけ世話になっておきながら裏切った。コミューン『マハラバ村』の崩壊のきっかけを作ったのはあなたたち夫婦だよ。落とし前をつけるべきじゃないんですか?」

と迫ったのだ。

(次回につづく)

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。