32回目の優勝を果たした「一極集中の横綱」白鵬は、あと何回優勝できるのか?

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北出幸一[相撲記者・元NHK宇都宮放送局長]
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横綱・白鵬が大鵬に並ぶ史上最多の32回の優勝を果たした表彰式での優勝力士インタビュー。

「15年前に62キロの小さい少年がここまで来るとは誰も想像していなかった。この国の魂と相撲の神様が認めてくれたからこの結果がある。この優勝に恥じないよう、今後も一生懸命がんばってゆきたい」

と白鵬は語った。
NHKの大相撲中継で放送され、白鵬は涙を流した。インタビューの言葉に胸を打たれた人も多いと思う。
この白鵬の言葉を聞いて、大相撲に入門するために来日して、大阪で細い体で稽古に励んでいながら、なかなかスカウトされなかったエピソードを思い出した。次々に親方に選ばれて入門のため去ってゆくモンゴルの仲間達。
「もうダメならモンゴルに帰るしかない」という最後のチャンスに白鵬を選んだのが、宮城野親方だった。32回目の栄光の賜盃を拝戴した白鵬の胸中には入門時の思いが、きっとよみがえってきたのだろう。
恒例の優勝翌朝の記者会見では、白鵬の明るいユーモアが連発だった。会見の冒頭の代表質問、

「32回の優勝を果たして、どんな気持ちですか」

という問いかけに、白鵬は、

「ねむたいです」

と一言。
最初から報道陣の爆笑を誘った。更に、

「1敗したが、気楽だった。久しぶりに追いかける立場。不思議と気持ちが良かった。今場所の土俵は良く滑った。あの滑りがあるから良かった」

と笑わせた。滑りを話題にしながらも白鵬の話は滑っていなかった。
大鵬さんの思い出を語る白鵬。

「亡くなる2日前に話をした。去年の初場所の取組が終わってから会いに行って約束をした。親方は黙って寝ていましたけど」

と言って、まわりがじっと話に聞き入っていると、すかさず「まだ泣いちゃダメよ」と笑わせた。かつて小さな大横綱と言われ、白鵬にその31回の優勝記録を抜かれた横綱千代の富士も支度部屋で、まさにスポーツ新聞の見出しになるようなユーモアたっぷりの話しぶりだったことを思い出した。
「網打ち」という珍しい技で勝った時は「出たね。漁師の息子だもの」と言って取り囲んだ記者達を笑わせたことを覚えている。白鵬にも余裕と風格が生まれてきたと感じた。
九州場所千秋楽の翌日、東京都内のホテルで横綱審議委員会が開催された。委員会終了後に記者会見した内山斉委員長は「白鵬は断トツで強さを見せた。32回の優勝は見事なもの。まだまだ記録を伸ばす」と絶賛。内山委員長は言葉を続けて「ほかの横綱、大関が束になってもかなわない一極集中の状況」と絶妙の言い回しで白鵬の強さをたとえた。
まさに一極集中、いまの相撲界の現状を良く表す言葉だ。実力が一極集中、人気が一極集中、他者の追随を許さない。横綱・千代の富士の九重親方が「最低あと5回優勝できる」と言えば、優勝24回の元横綱・北の湖の北の湖理事長は「あと3年やるだろう。優勝40回に届く計算」と更に太鼓判を押した。
昔からの相撲ファンならよく知っている言葉に、「栃若」「柏鵬」「北玉」などがある。それぞれの時代を築いた両横綱、つまり「栃若」なら、しぶとい取り口からまむしとあだ名が付いた栃錦と、鬼と言われた初代・若乃花、「柏鵬」なら、もちろん大鵬と柏戸、そして「北玉」なら、北の富士と急死した悲劇の名横綱・玉の海。
白鵬に並び立つ横綱は、現状では見当たらない。白鵬はひとりで大相撲の頂点を極めた男の重責を担ってきた。白鵬は、まさにひとりで「柏鵬」時代に勝るとも劣らない「白鵬」時代を築いた。
あるパーティーで白鵬は歌手の松山千春から「運」という漢字の意味が分かるか問われた。「運」という字には軍が入っている。つまり戦わないと「運」は来ないと教えられ、白鵬はそれ以来、「運」という漢字を好きになった。次の優勝、33回目からは大相撲の新しい歴史を切り拓くたったひとりの戦い。
新たな戦いに向けて白鵬は、

「これからは1敗や2敗する優勝が多くなるかもしれない。それを耐える心と体を作ってゆかなければならない」

と語り、決意を新たにした。
 
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