<「look at the 字幕」のテレビ?>テロップで視聴者の感情を「指図」するテレビに辟易


高橋秀樹[放送作家]

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「着るんかい!」と言う赤字のテロップがテレビの画面に大写しになって「ここで笑いなさい」とテレビが、見ている筆者に指図している。

笑うかどうかは、観ている筆者の勝手だから、「放っといてくれ」と腹が立つ。本当は、おもしろいところだったのかもしれないが、腹が立っていては笑う気になれるものではない。そういうことが、最近テレビを観ていると多くなった。

心あるテレビマンは決して使わないのが「なんと」とか「実は」という言葉。しかし、これらの言葉は、最近のテレビでは安易に連発されている。視聴者である筆者に指図しているのだ。

「これから、大事なものを見せますから、見なさい、見なさい、見なさい、見なさい」・・・。

「なんと」「実は」「なんと」「実は」「なんと」「実は」「なんと」「実は」・・・。

笑わせる箇所だけではない。悲しい場面さえも、伴奏音楽で視聴者に指図をする。

「泣きなさい、泣きなさい、泣きなさい、泣きなさい」・・・。

テレビの作り手である筆者ながら、こういうテレビを見るのはもう辟易である。

英語でテレビを観るは「watch」という動詞を使う。「look」は決して使わない。研究社の新英和中辞典には、「watch」は、動いているものを見るとき、「look」は、静止しているものを見るときに使うと書いてある。誤解を恐れずにあえて漢字を当てれば、「watch」は「観る」、「look」は「視る」と言うことになろうか。

そういう意味で前段のことを考えれば、今のテレビは「look」のテレビになっている。「watch」するテレビにはなっていない。いわば、「look at the 字幕」のテレビになっている。しかし、本来、視聴者が好きなのは「watchするテレビ」だったのではないか。

かつてこの「watchするテレビ」は、「一億総白痴化」を招くとして、社会評論家の大宅壮一氏に徹底的に批判された。昭和30年代後半の話である。

「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」

という意味合いの言葉である。

一方通行のテレビで、流れてくる映像を何の疑問もなく受け入れる、そういう面が確かにテレビにはあった。でも、それらは考えずに何かを観られているという点で、限りない安堵を与えてくれた、「テレビでも観ながらゆっくりするか」そういうメディアであった。少なくとも筆者にとっては、と付け加えておこう。

だから、いろいろ指図してきて、「lookしなければならないテレビ」が筆者は嫌いなのだろう。

 

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