<全戸避難の被災地に人を呼び戻す>福島県南相馬市・原発から20 km圏内の「旧・警戒区域」で起業した人がいる


小鷹昌明[南相馬市立総合病院・神経内科専門医/医学博士]

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被災地には、「厳しい状況だけれども、とにかく機会を与えられたのだから行動しよう」という人、「なぜ、被災者である自分が、条件の整わないなかで無理を押してまで行動しなければならないのか」という人、「途方に暮れて、どうしたらよいのかの判断ができない」という人がいる。

歳を重ね、病気を抱え、家族は離散し、家も荒れ、帰還するかどうかの判断もできない人は、生きることさえしんどい。さらに言うなら、そうした人たちの行動を促そうとする人の気持ちは、もっとしんどい。

そんな中で、原発から20 km圏内の「旧・警戒区域」で起業した人物がいる。ここ南相馬市小高区は現在、「避難指示解除準備区域」であり、来年4月からの居住を目指している。

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これまでの背景として、支援や視察目的の個人・企業・団体が市内外から訪れるようになったのはいいのだが、現地の人間は避難中ということで、支援をしたくとも肝心の受け皿がないという課題があった。

どんなに優れたアイディアやサービスを有していたとしても、離れた場所から議論だけしていても事業は行えない。そんな状況が続けば、「結果の出せない現地」ということで、支援の波は潮が引くように去っていく。復興の機運から取り残されるばかりか、住民の帰還意欲も低下する。

そうした危機感から、

「まずは、住民や支援者の活動拠点を物理的に用意することこそが、避難指示解除に向けた課題解決の第一歩になる」

と考えた起業家が、人通りのないストリートにオフィスを構えた。帰還する人を1人でも増やしたいという願いから。彼は語る。

「いつも葛藤がある。住民一丸となってやるということが理想なのだろうが、そういうことは、居住できない20 km圏内でも果たして可能なのか? 地域の課題なのだから、地域の皆で解決に取り組むということ自体は大切であるが、では避難中で、帰るかどうかもわからない人に対して、その責任を負わせることができるのか。“戻る”と決めた人たちは、確かに頑張っている。そうしないと物事は進まないということもわかってはいるが、頑張れば頑張るほど、帰還をためらっている人を置き去りにしてしまわないか? 結局、そうした不揃いな足並みが、迷っている人の帰還意欲を減退させることになりはしないか」

だったら、「頑張る人たちだけでいいではないか」という考えになるのだが、そういうことだと常にその人たちに負担が集中することになり、行動しない人や帰還を諦めた人からは冷めた目で見られる。だったら頑張ることに何の意味があるのだろうか?

東日本大震災では、たくさんのものが失われ、小高区は全戸避難を余儀なくされた。文字通り「ゼロ」の状態となった。その「『ゼロ』の街に、人の暮らしを取り戻そう」という、日本一難しいかもしれない課題の解決に取り組んでいる。

小高区に戻ることを強く希望している人たちが頑張るのはいいことなのだろうけれども、避難している方にとっては、「帰った頃には居場所がなくなっているのではないか」という不安があるという。故郷に負い目を感じながら避難している人たちが、一部にはいる。

それでも、信ずる活動を続けていくしかない。

「彼の苦悩をいかにして和らげたらいいのか」

答えのない、とりあえずの方向性を探っていく作業が続く。

 

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小鷹昌明

小鷹昌明(おだか・まさあき)南相馬市立総合病院・神経内科専門(指導)医/医学博士/エッセイスト。1967年埼玉県に生まれ、1993年獨協医科大学医学部を卒業。同大学病院神経内科にて19年間勤務の後、2012年に退職。現在、南相馬市立総合病院に勤務。「いま、医療者は何を考え、どうするべきか!」を信条として、“原発に一番近い病院”から医療状況を伝え、市民活動を展開している。趣味は“相馬野馬追”出陣のための乗馬著書は、『ドクター小鷹 どうして南相馬に行ったんですか?』(香山リカとの共著)(七つ森書館)、『医者になってどうする!』、『医者が大学を辞めるとき』、『原発に一番近い病院から』(以上、中外医学社)など。