<「日本創生会議」は排除の論理?>「終の住処」を決めるのは高齢者本人であって国や行政ではない

政治経済

山口道宏[ジャーナリスト]
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今度は「介護破綻だ」という。「日本創生会議」の増田寛也(座長・元総務大臣)という人はお騒がせなご仁だ。
昨年春、増田は地方の過疎化現象を指し、

「2040年までには全国の市町村の半数が消滅する」

と発表し、耳目を集めた。市町村は活気を失い、学校は統廃合、駅前はシャッター商店街となり、昼間とて人影もまばらだ。同会議は、「(お前の住むところは)消滅するぞ」と脅すと、そのそばから我が国の被介護者激増を見込んで、次には東京圏高齢者の「移住のすすめ」と出た。
東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県の2025年の「介護需要」が172万人に上るとの試算(15年の45%増)を公表した。それは「全国平均32%増」より大きく上回るという。
あたりまえである。圧倒的に人口が多いのだから「需要」だって多い。サービスの「供給」が追いつかないという。
「需給」をいうなら「需要」に応じた「供給」にすべく、それを増やす手立てをすればいいだけのことだ。なにより同会議がけしからないのは、誰がひとの「終の住処」を決められようか、ということ。ひとには、住むところを選べる自由がある。
「移住促進」だという。地方の多くを「消滅都市」といい、いわば「おばすて」状態を横目に、さらなる「おばすて」をすすめるのだ。しかし、本音は、首都圏は「土地の取得が難しい」「介護職の確保が難しい」である。
誰も好んでの過疎化、人口減ではない。振り返れば戦後の産業構造の変化は「集団就職」を引き合いに出すまでもなく、長年に亘り雇用と羨望を餌に、ヒトもモノも全てのものを地方から都市へと集中させた。気がつけば、多くの地方ではこぞって人口減少が進み、残ったのは高齢者という構図を生んでいた。不条理は我が国の政治の貧困に起因することはいうまでもない。
今回もまた「選択と集中」論は、即ち棄民政策に他ならないことを証明した。そこには人が老いたとき「見知った町で」「見知った人と」への配慮は、微塵もない。「高齢者移住地100選」でも作ろうというのか。
「終の住処」を決めるのは、当事者である高齢者本人で、けっして国や行政ではない。老いの尊厳を全く失した、不遜な話である。
 
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