<禁忌薬使用は医療の闇か②>韓国セウォル号裁判が殺人事件なら、もしかして東京女子医大2才児死亡事件も殺人?
藤沢隆[テレビディレクター/プロデューサー]
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“禁忌”とは簡単に言えば、使ってはいけない、ということです。
問題の鎮静剤プロポフォールの添付文書には『小児(集中治療における人工呼吸中の鎮静)には使用しないで下さい。』とはっきりと書かれています。ですから、その条件下では使用してはいけないはずです。もちろん他の薬剤の裁判例でも、添付文書の禁忌事項を無視して医療事故がおきた場合、医師側が特段の合理的理由を説明できなければ責任ありとされています。
しかし一方で禁忌事項を無視して使用しても、医師の判断に合理性があるなら使用が禁じられるものではないという裁判所の判断例もあります。薬の添付文書に禁忌と明文化されていてもこれに従うかどうかは医師の裁量権の範囲だというのです。
治療効果と副作用など危険とのバランス、医療慣行(多くの病院でも使っている)などに合理性があれば禁忌事項は必ずしも守らなくても良いという判断です。薬剤の禁忌事項に強制力はなく、少なからぬ病院で使っている薬であれば、あるていどのリスクは仕方がない、という感じです。
それがたとえ死亡リスクであっても、その薬剤を使う使わないはあくまで医師の判断にオマカセというなら、禁忌事項とふつうの副作用表記との間にあまり違いはないように思えます。
医療訴訟ではさらに驚くべきことに、禁忌事項だからという理由でその薬を使わなかった医師の判断が誤りであるされた裁判例もあるのです。禁忌事項に従って薬剤を投与しなかったある医師の判断が医療過誤とされ、当該医師が損害賠償を命じられたケースが実際にあるそうなのです。
禁止だから使わなかったのに罪になるとは・・・。禁忌事項を無視して投薬することで救える患者も現実にはあるというのが問題を複雑にしています。極端に言えば、禁忌を記した添付文書は医療事故の責任を怖れる製薬会社のエクスキューズのようなものだとう指摘する人もいます。
禁忌事項が明文化されていながら、命の現場で日々、使ってはダメ、いや使っても良い、いやいや使わなければダメ、の判断がもっぱら個々の医師の判断に委ねられるとしたら、あまたの医師たちには神のような能力が求められます。医師は誤りを犯さない神でしょうか。
人間である医師に神の力を求めることができないからこそ添付文書があり、禁忌事項があるのでは。
訴訟リスクが上昇し続ける昨今、使ってはダメ、いや使っても良い、いやいや使わなければダメ、の禁忌事項に、いったいどうすりゃいいんだ!と神ならぬ医師たちも困り悩んでいるのだそうです。
東京女子医大で亡くなった2才のお子さんが受けた手術は頸部リンパ管腫ピシバニール注入術です。名前は大仰ですが、命のやりとりをするようなシビアな手術ではまったくありません。テレビインタビューにおける親御さんの発言では、採血するていどの簡単な手術と医者から説明され、事実たった7分で手術は終わったと言います。術後のポロポフォールの使用については、”どこの病院でも使っています。クルマが時速80キロで走ることもあるでしょ”と説明されたとか。
東京女子医大病院はプロポフォールを禁忌条件下で昨年11月までの5年間に63人の子どもに投与し、うち12人が死亡したと明らかにしています。死亡原因とポロポフォールとの因果関係はないと説明していますが、だとしてもそれだけの事例で禁忌事項を無視してプロポフォールが使用されたのは確かです。
また共同通信のアンケート調査では、回答70病院のうち9病院が『プロポフォールを禁止対象の子供に使用することがある』とし、うち4病院では『使用は医師の裁量の範囲』と回答しています。現実に少なからずプロポフォールの禁忌事項は軽く扱われているのです。
製薬会社が禁忌とした事項には強制力がないので必ずしも禁忌ではなく、実際には禁忌を無視してたくさん使用されているという現実の下で、少なからぬ患者が亡くなったり副作用に苦しみ、家族は嘆き悲しんでいます。そして医者たちも判断や結果に悩んでいます。あらためて、医師にとって、患者にとって、家族にとって薬剤の禁忌とは何なのでしょうか。命に関わることなのに誰もきちんと決めずに医師の裁量にまかせるというのは、どこか無責任という感じがしませんか。
メディアはこの東京女子医大2才児死亡事件を病院理事会側と大学側の権力争いとして面白がる向きも多いようですが、これはたくさんの命に関わる問題です。薬剤の禁忌事項について、現実になにが起きているのか、禁忌事項はどう扱われるべきなのか、メディアにはぜひとも“調査報道”をお願いしたいものです。
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