<最近のテレビは「美男美女」ばかり?>個性派演者を探し出すのは「美男美女」探し選びより難しい
高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]
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最近、「美男や美女」ばかりが出ている番組が多いような気がする。ドラマやノンフィクションでもそうだ。昔、個性派俳優などという言葉があったが、そんな言葉もなくなったような気もする。どうも面白みに欠ける。
たまには個性のはっきりした人が出演する番組もある。そんな番組に出会うとほっとする。TBSドラマ「下町ロケット」はそんな番組のひとつだろう。美男や美女という基準で選ばれている人ではないだろうと思われる役者たちが良い味を出している。
何故、美男美女番組が増えたのだろうか。その方が視聴率を取ると信じられているのだろうか。確かに昔から美男美女路線はある。だが、それだけでは本格的な番組作り、映画作りは出来ない、ということも知っていた。
やはり他にも理由があるだろう。美男美女はある程度探し出すことは出来ても、個性派を探す方が難しいということかもしれない。
個性派を見つけるのは難しい。見つけるのではなく、育てるのかもしれない。いづれにせよ難しい。存在感を出すには単に変わっているだけでは出来ない。それなりに人生の経験が必要だ。何が人の心を打つのか分からない面もある。
それに比べれば美男美女というのは見掛けですぐ分かる。だから、そこに頼る方が簡単だ。美男美女で個性が豊かであるというほうが良いが、そんな人はなかなかいない。だから個性派を売り出すほうが難しいから美男美女を売り出しているのではないかという気もする。
美男美女の成功物語はかつてたくさんあった。今もその流れは続く。だがそれはある一部でしかない。やはり第二の森繁久彌や渥美清を探すことが必要なのだろう。番組に合う個性派をまず探す・・・番組に合わなければ美男や美女でも、人を惹き付ける番組にはならない。
このことはドラマだけではなく、ノンフィクションの世界にとっても深刻だ。どうしても美男美女に頼りたくなる。さもなければ少しでも売れている人と考える。芸人も良く出てくるが、どこか美男美女系が多いような気がする。
多少売れていれば芸とは関係ない。当たり前かもしれないが、これが番組がやせ細っていく原因になる。どんどん似たような番組になる。本物のにおいがする人、説得力のある人、それが番組を変えるような気がする。今ノンフィクションの世界にも個性派の怪人が必要なのだ。
来年テレビ東京の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が映画化されるという。蛭子能収さんはこの番組が作り出した個性派だろう。
個性豊かな人が出る番組、個性豊かな顔立ち、それが現在のようなみんなおそろいの髪型で、おそろいのメイクで、おそろいのファッションで、おそろいのしゃべり方の時代には、やはり必要だ。
美男や美女ということと個性がはっきりしているということは関係がない。個性のある方が面白い。それは人生と一緒だ。個性派が出るだけで番組が変わっていく。
そして、もうひとついえるのは個性派はどこかにいるのではなく、たぶん作らなければならないということだ。育てるといったらいいのかもしれないが、ただ変わっているというだけでは個性派にはならない。そこは時間を掛けなければならない。
個性派が成立するには、それなりの気配りが必要なのだから。
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