<放送作家40年・日本コント史の裏側>「ひょうきん族」と「全員集合」は視聴率争いなどしていなかった

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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「コントはわざとらしくて笑えない」と言う人がいる。その通りの側面があると思う。

「コントと漫才の違いは何か」と言う人もいる。笑えればどちらでもいいのではないか。素人に違いは何かなどと感じさせてしまうのは、プロの敗北である。

そこで、あくまでも知る限りの「日本コント史」を書いてみる。

榎本健一(えのもとけんいち・1904〜1970)。愛称エノケンと呼ばれた不世出のコメディアンが太平洋戦争前後に大活躍した。芝居が出来て、歌が歌えて、イケメンで、アクションも出来て、笑いが出来て、これぞコメディアンと言うべき人である。

コメディアンというのは今挙げた表現形式をすべて出来る人、というのが筆者の考えである。だからこそ、榎本健一は「日本の喜劇王」とも呼ばれた。

残念ながら、エノケンの往時は映画会社にでも掛け合って、倉庫からフィルムを探し出してもらわなければ味わうことが出来ない。

榎本健一には盟友とも呼ぶべき座付き作家がいた。名を菊谷栄(きくやさかえ・1902〜1937)と言う。菊谷はエノケンのために伝説の名作「最後の伝令」を書いた。

脚本を再現したものを読んだが面白い。伝令とは戦場の状右京を伝える報告役の兵隊である。この「最後の伝令」は、筆者の個人的感想ではフランク・キャプラ監督のコロンビア映画『陽気な踊子』(昭和3年製作・The Matinee Idol)と酷似している。こちらは普通にDVDで見ることが出来る。

酷似しているからと言って盗作ではない。換骨奪胎エノケン流に日本の観客流に脚本(ホン)は見事に書き換えられている。当時は原著作者といった考え方はなく、面白いものはむしろ積極的に真似した。

浅草で公開された「最後の伝令」は、大当たりを取った、と記録されている。これはコントと言うよりコメディ芝居に近いだろう。

何故コントと呼ぶのか。新宿にムーラン・ルージュ(1931〜1951)があったように、日本人はおフランスにかぶれていた。本場パリのムーラン・ルージュで演じられる洒落た小芝居conteと呼ばれていたからだ。フレンチカンカンをつなぐために幕前で演じられる。フランスのconte。

英語ではおそらくskitと呼ばれるものがこれに当たるだろう。このskitを演じて全米を公演して歩いたのがバスター・キートン(1895〜1966)と、チャールズ・チャップリン(1889〜1977)である。二人とも旅回りの劇場で演じるヴォードヴィリアン、日本語訳すれば寄席芸人であった。

つまり彼等も、歌や踊りの合間に笑劇を演じていたのである。しかし人気は笑劇の方に集まった。映画会社が目をつけ2人は瞬く間にサイレント映画のスターに登りつめた。

キートンとチャップリンの芸風は好対照であった。キートンは体技を中心にした意外性のギャグ。チャップリンはラブコメの人というのが筆者の認識である。

ドライかウェットかと言う分け方も出来よう。キートンは「笑わぬ貴公子」との異名を取った。演技しているときには基本的に笑わないどころか、表情を変えない。動きと芝居で見せることに徹していた。止めるのも聞かず、スタントも自分でやった。

ある先輩作家は「笑いを演じるものは決して笑ってはいけない。笑うのは見る方だ」と言ったが、それには少し疑問を持った。

【参考】TBS60周年特別企画「TBSもさんまも60歳」は近年稀にみる素晴らしいバラエティ

チャップリンは画面では柔和な表情を見せるが、監督・演技者としては激しい厳しさを持っていた。ある映画で共演した犬が奇跡的に面白い動きをした。

チャップリン監督はそのラッシュを見て、犬のシーンをすべてカットすることを命じた。画面に自より笑えるものが存在することは許すことが出来ない。

どちらが好きかで良く話し込んだが、それは好きずきであり、勝ち負けというものではないのは当然のことだ。筆者はチャップリンのストーリーにキートンのギャグが入れられないかと考えたが、そのくらいのことはプロなら皆考えていただろう。

テレビのコントはなんと言っても日本テレビの「シャボン玉ホリデー」(1961〜1977)である。ジャズマンからテレビマンになった制作者はアメリカのテレビショウを理想とした。

クレージーキャッツとザ・ピーナッツの演じるそれは歌と踊りとコント。「およびでない」や「おとっつぁん、おかゆが出来たわよ」は、今もアレンジして使われるコントだ。

その後はやはり日本テレビの「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」(1969〜1971)だ。作家性を重視した役者が演じるコントであった。

たくさんの作家。無数のコント。これら脚本は原則とっぱらいで買い上げられた。一作2000円、3000円。

あるとき、プロデューサーは「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」の作家たちを驚かせる。こう宣言したからである。

「これからは、医者と刑事のコントは厳禁! 一銭も払わない」

なぜ、医者と刑事のコントはダメなのか。答えは簡単だ。作家が困ると、員数合わせで医者と刑事のコントばかり書くからだ。コントが全部同じになってはつまらない。だから「いらない」書いても「一銭も払わない」。

医者も刑事も設定がはっきりしていて、非日常のシチュエーションを持ち込んでも不自然にならない、つまり楽に考えられるのである。作家は「楽して考えたコントはいらない」と言われたのである。

今は、ドラマ界でも同じ事情が発生しているようだ。

そして、「コント55号」の時代がやってくる。『コント55号のなんでそうなるの?』(1973〜1976)が始まったのは昭和48年。筆者は上京したての18歳であった。グループ名にコントの名を冠した55号の番組。その爆発力はすさまじかった。

筆者がこの番組に参加することは叶わなかったが、後に欽ちゃんには実に多くのことを教わった。

【参考】メディアゴン「萩本欽一インタビュー」

欽ちゃんから学んだことを、コントについてだけでも、以下に列挙してみたい。

  • コントは設定、設定だけ考えろ。台本の初めの2行が勝負だ。そこがつまらないものはつまらない。
  • 台詞を書くな。お前らの考えた台詞は動きの出来ないお前たちが考えたものなのだから、動く俺たちには言えない。台詞は俺たちが考える。
  • 落ちは何でもいい。終われればいい。
  • ツッコミは落としの台詞ではない。ツッコミはフリ。ボケが次にどう動けばいいか指示を出す台詞だ。
  • 面白そうな台詞を書くな。普通の台詞が面白い設定を考えろ。「ありがとう」の台詞で笑えたら最高だ。

ただし、これが普通のコントか、というとそうではない。これが「コント55号にしか出来ないコント」であり、これを書いても普通の歌手や役者には出来ないことを筆者たちは知っていた。

同じ頃に『8時だョ!全員集合』(昭和44年開始)の時代もやって来ていた。ザ・ドリフターズ主演のお化けコント番組だ。生放送の屋体崩し、練りこまれた台本、入念なリハーサルは、日本中の子供たちのこころをわしづかみにした。ザ・ドリフターズの演るコントが「コントの王道」になった。

この頃、筆者は、「私がコントなんか演るわけないじゃないの。人に笑われることなんて、やんないわよ絶対」という設定のアイドル歌手のコントを書いたことがある。

昭和56年『8時だョ!全員集合』の裏番組として『オレたちひょうきん族』が始まった。よく、アドリブのおもしろさ、稽古しないひょうきん族と言う点で全員集合と比較されるが、厳密には違う。

全員集合は稽古をして稽古の成果を見せる。ひょうきん族は稽古をして稽古をしなかったように見せる。その違いである。筆者はひとり早くスタジオ入りしたビートたけしが、セットの前でなにやらじっと考えているところを何度も見たことがある。

ただ、多くのコント上手が集まっていて、稽古をすると面白いところが稽古で出てしまって新鮮味がなくなるので「稽古。止め、やめ」ということになることもよくあった。

「『オレたちひょうきん族』と『8時だョ!全員集合』は熾烈な視聴率争いをして戦った。」

・・・と自動的に書かれてしまうことも多いが、それも実は違う。大体、視聴率が話題になるようなことは、ほとんどなかった。

「ひょうきん族」のスタッフは、河田町フジテレビ前の居酒屋に打ち合わせにやって来た全員集合にスタッフとよく遭遇した。そこでの話題は、

「2番組合わせて視聴率50%。笑いを見る人が世の中の半分もいるなんて俺たちは幸せだあ」

と言うことであった、ここでも「勝ち負け」ではなかった。
一方で、アイドルコント流行の時代もやって来た。「たのきん全力投球」(TBS・1980〜1983)や小泉今日子、松本伊代、堀ちえみがメインの「パリンコ学園No.1」(TBS・1982〜1983)が代表番組であろう。

コントはよく練れたものだったが、視聴率は取れなかった。

その頃から言われ出したのは、「もうコントでは数字は取れないよなあ」と言うことであった。コントだけ書いていたバラエティの作家は、もっと大きく構えて番組自体の設定、つまり企画を考える仕事に移っていった。

『オレたちひょうきん族』は終わり『8時だョ!全員集合』の後続番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS・1986〜1992)も終わった。

「コント冬の時代」がやって来たのは、バブル経済がはじけるのとほぼ同じ頃だった。

ダウンタウンやウッチャンナンチャンが異彩を放っていたが、筆者自身には彼等のコントが書ける力はもうなかった。どこが面白いのが理解できていない者などに書ける物ではないからだ。

多くの人材を芸能界に輩出する日大芸術学部の上滝徹也教授に話を聞いた。

高橋「バラエティをやりたいという作家希望の人が僕の所によくやってきますが。バラエティって『その他』というジャンルじゃないですか。だから、何がやりたいの。トークなの、他の何かなの、って聞くんですが」

上滝「バラエティをやりたい人の7割はお笑いをやりたい人だと思います」

高橋「笑いをやりたいって、なにをやりたいんでしょう? コントが書きたいというわけでもないですよね」

上滝「だから、困ります。バラエティの人材を育てるカリキュラムってどうしても組めないんですよ」

今は、テレビにおけるコントはどういう時代なのだろうか。筆者はメイクで顔を面白そうにいじるのはあまり好きではない。
欽ちゃんにはこう言われていた。

「面白そうと、面白いは、正反対だ」

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