<放送作家は絶滅危惧職>秋元康さえ一期で匙を投げた日本放送作家協会の理事に当選して思うこと

テレビ

高橋秀樹[放送作家]
2014年6月13日

 
私事ではあるが、私・高橋秀樹はこの度、放送作家協会の理事に当選した。
この選挙に立候補した動機は非常に不純なもので、立候補したら、選挙になるのか、当選するのか、ためしにやってみようというのが動機である。
定員15人対して立候補者は18名。選挙になった。立候補を表明したのが早かったので立候補者名簿のトップに記載された。それが当選の一番の理由だと僕は思う。会員のだれもが、理事選挙にはほとんど関心がない。
かつて、この理事は会員の中の(たいしたものではないとはいえ)名誉職的なものであった。同じメンバーが席を占める期間は長く、理事会も、協会自体も停滞した。この停滞を打破しようと会員中最も有名人であると思われる秋元康が会長になって放送作家に仕事場を与えようとがんばったが、会は遅々として動かず、秋元のスピードを第一義とする改革に会員からの反発も出て、秋元はとたんに興味を失い、1期で、会長職を辞した。
これ以後は僕の記憶と限られた情報だけで書いているので間違いがあるかもしれないことをお断りしておく。放送作家が所属する団体はかつて「日本放送作家協会」だけであった。 同業者の親睦会という性格の集まりである。ここには、バラエティなどを作る構成作家と、ドラマの脚本家が一緒に所属した。構成作家は、構成という名が地位が低く感じられたので、放送作家と名乗れると喜んだものである。
「日本放送作家協会」の次に出来たのが「日本放送作家組合」である。こちらは組合であるから、ギルドであり、著作権の管理および支払い、健康保険への加入、原稿料の値上げ交渉などを行う。設立の順番のせいもあって「協会」と「組合」は表裏一体のものであり、会員はどちらにも同時に所属した。
ところが、「日本放送作家組合」が「日本脚本家連盟」に名を変えたころから、ちょっと様子も変わってくる。「自分は脚本家という仕事をしていない」と感じている放送作家は、居ずらい感じである。居ずらいが、入っていないと健康保険には入れないし、著作権料ももらえない。
会員が気づいたのは、協会のほうにメリットが極めて少ないことである。協会と連盟は同時に加盟するのが決まりだったが、今はどちらかでもよい。そのせいで脱退する人もでてきている。
で、常務理事になった話に戻るが、やらなければならないのは、絶滅危惧職種である放送作家の「仕事の幅」を広げ、地位を向上させることである。しかし頭が痛いのは、放送作家は、結局一人の仕事だということである。
 
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