<言葉の技術か?人間性か?>菅総理の日本語改善を考える

政治経済

両角敏明[元テレビプロデューサー]

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きわめて強く短い言葉で断じて相手の発言を封じるのは言葉や議論にコンプレックスを抱く人にありがちな態度です。コンプレックスがあるかどうかはともかく、菅総理が強く短い言葉で断じたり、不思議な日本語を使うことは周知です。それが口下手や方言、あるいは単なる言い間違いなどなら、それをことさらに論うのは礼を失します。ただし、総理の日本語は日本国民や、世界に向けて発せられるものです。もし発言を過てば、あるいは発言を誤解されれば深刻な影響を及ぼすかもしれません。菅総理には聞く側が正確に理解できる程度に正しい日本語を話す努力が必要です。

*滑舌

筆者が菅総理の発音で最初に気になったのが「自治体」と「自衛隊」の聞き分けが難しいことでした。菅総理の発音はどちらも「自イ体」と「自イ隊」で、ほとんど同じに聞こえます。これなどは少しのトレーニングで改善できるはずです。総理にとって「自治体」も「自衛隊」も重要かつ頻度の高いワードです。こういう重要事例をピックアップしてトレーナーとともに重点的に改善されてはどうでしょうか。

*キーワードの選択

菅政権がキャッチフレーズとして選択する言葉が押し並べて「いささか品位に欠ける」と感じませんか。

「瀬戸際の2週間」、「勝負の3週間」。コロナ対策でなにを勝負するのでしょうか。さらに、「国民のふんばり」、「なんとなくもうひとふんばり」、「飲食が急所」など、いずれも一般人が会話で使うなら問題はありません。しかしふんばりや急所はいささか品位に欠ける意味もある言葉です。まん防という略称もいまごろペレスプラドで踊るのか、よって、年がバレますが、シリアスな状況に相応しい語感とは言えません。もうすこし言葉のチョイスに神経を使われた方が政府への信頼感も増すはずです。

*軽率な言い回しと誤用

改善が難しそうなのは軽率な言い回しです。例えば新規陽性者の下げ止まりを問われて

『何となく下がり切れていない状況じゃないでしょうか』

政府の状況分析を総理大臣が『何となく』と言っちゃあマズイでしょう。『何となく』は総理の口癖なのかもしれません。

『全力全霊』

大漢和まで調べたわけではありませんが、これを言うならふつうは「全身全霊で」でしょう。「全霊全力」という言葉もありますが「全力全霊」はなさそうです。

[参考]<怪しいワクチン供給>菅政権は「奇跡」を実現できるのか?

さらに、ご長男の東北新社就職問題では『就職にはついています』。「職に就いています」もしくは「就職しています」と言うべきでしょうが、このあたりの指摘は「揚げ足取り」とおっしゃる方があるかもしれません。しかし、ご長男との会話について『(長男には)申し上げておきました』と再三くり返されたのはどうでしょう。公的場面で父親が息子に謙譲語とは・・・。

さらに、最近これはマズイと思ったのは、まん延防止等重点措置について記者に聞かれ、

『感染拡大防止を防ぐための措置であります』

もちろん単純な言い間違いですが、重要な発言で防止するのを防いじゃだめでしょ。そもそも菅内閣のスローガンは『国民のために働く内閣』です。国民のために働かない内閣なんてあるはずもなく、発足当初から日本語がおかしかったのですが。

*質問にまともに答えられない。

しかし菅総理の問題は発する言葉ばかりではなく、「質問されたことに答えない」というきわめて単純な姿勢です。ごく最近でも、坂井副官房長官が官邸で私的食事会合を開いていた件について、記者から総理の責任を問われた菅総理は、

『私は参加していない』『私は承知していない』

とお答えになったと伝わっています。また、今回のまん延防止等重点措置の効果が十分でなかった場合は緊急事態宣言を出すのか、その場合の責任は、と問われると、

『ですから、再び緊急事態宣言に行かないような感染拡大防止につながるような対応策であります』

質問は「緊急事態宣言を出すのか?」と「その際の責任は?」です。この質問をはぐらかそうとしてこんな珍妙な日本語になってしまったようです。

菅総理にアドリブ力はありません。なのに、常に質問に正面から答えず、ひたすら逃げ回ることばかりを考えるからますますおかしな日本語が噴出します。発声、発音の技術的な問題ならトレーニングなどで改善できても、質問に答える日本語力は「質問には真っ正面から答える」というご努力をされないと改善されません。このままはぐらかしを続ければ、いつか「国民の失笑を買う総理」になってしまいます。

*言葉の技術か、人間性か

もうひとつ最近の事例です。緊急事態宣言解除が早すぎたのではないかという質問に対する菅総理の言葉を、多くのニュースは以下のように切り取って伝えました。

「解除の指標は満たしていた。知事からの要請があった。専門家に相談した。」

これでは菅総理自らの責任で決断したという決意の強さは伝わらず、無責任さだけが印象に残ります。菅総理はこういう点でも言葉の取扱説明書を熟読すべきかもしれません。もしこの言葉が技術的な未熟さから出たのではなく、考え方や人間性の発露として発せられた言葉だったとすれば、菅総理には言葉の取扱説明書も処方箋も存在せず、即刻辞任しかありません。

 

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