<「死人テスト」をやってみる>世の中には「死人にできること」と「死人にできないこと」があふれている?

ヘルスケア

高橋秀樹[放送作家]
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パブロフの条件反射に連なる「行動分析学」という学問がある。歴史はほぼ100年。
この行動分析とは、誤解を恐れずに言えば、人間の心を研究するに当たって「心の中」を探るのを止めた、というものだ。心の中は見えないから、その心の動きが外に現れた「行動」のみを対象にしようというのである。
では、それが「行動かどうか」を判定するのにはどうするか。それを判定するために考えられたのが「死人テスト」だ。「死人テスト」とは、つまり、死人には出来ないことが行動であり、死人でもできることは行動ではない・・・と、判断するのである。この「死人テスト」に合格するかの判定は意外と難しい。
例えば「走る」は行動で「走らない」は行動ではない。これは簡単だ。では次に少し難しくしてみよう。
「体を横たえる」は行動か。行動である。死人でもできるのは「横たわっている」の方である。「選挙に行かない」はどうか。行動である。死人は選挙には行かないが、選挙に行かないで、遊んでいるという選択は死人には出来ないからだ。
こうして考えると、世の中には「死人テスト」に合格しないことであふれている。
学校では、

  • 「廊下は走らない」
  • 「おしゃべりはしない」

・・・と言われるが、これはいづれも「死人」にもできる。
会社ではどうか。

  • 「セクハラしない」
  • 「使い込みしない」

これだって「死人」にもできる。
夫婦ではどうか

  • 「家事をしない」
  • 「愛していると言わない」

もちろん、これも死人にできる。
「加齢臭をさせない」は死人にもできるが、「加齢臭をさせる」は死人には出来ない。加齢臭をさせるのは、立派に行動。生きている証拠だ。
前言と矛盾するようだが、ちょっと冷静に見れば、世の中には「死人テスト」に合格することでもあふれている。
例えば、政治・経済・事件・事故ではどうか?

  • 「イスラム国にはいる」
  • 「正社員になりにくくする」
  • 「原発を再稼働する」
  • 「エボラ出血熱にかかる」
  • 「憲法9条を守る」

皆、死人ではできない。では、メディアゴンがメインテーマとするメディアの世界ではどうか?

  • 「誤報をする」
  • 「やらせをする」
  • 「バッシングする」
  • 「報道しない」

これも、死人にはできない。
当たり前だが世の中を作っているのは「死人」ではなく「生きている人」。亡霊に踊らされてはならない。
ところで、パブロフの犬の条件反射実験で、「ベルを鳴らすだけでよだれを垂らす」という描写があったら要注意。パブロフはメトロノームで実験をしているのであって、ベルを使ったのは一回だけ。ましてやブザーなど論外。これは調べないで書いているのだ。
 
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