<面白がる力が弱っているテレビ>「テレビの幻想」を評価する人がいなくなってしまったテレビ業界

社会・メディア

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]

***

テレビ業界には人が集まらなくなったという話を良く聞く。しかし、テレビ局の募集にはたくさんの応募がある。就職先としてのテレビ局は相変わらず人気があるということだ。
この風景は何十年と変わってはいない。では何故、テレビ業界には人が集まらないといわれるのだろうか?
最近、美術の主催のパーティーで、ある美術プロデューサーと会った。すぐに顔がわからなかったほど久しぶりだった。その美術プロデューサーが、

「何度も顔を見かけましたが、なかなか話しかける機会が無かったので、今日は話しかけられて良かった」

と改まって言う。話したかった内容というのはかつて一緒に北海道を旅した番組のことだった。「あれは面白かった」と、今になって言う。
たった一両の車両を借りて網走まで旅をする企画だった。たった一両でも列車を走らせるのは大変だ。ダイヤを組んでもらわなければならないからだ。
まず、停車駅と通過駅を決める。通過駅の駅員が全員知っていなければならない。借り切っていたとはいえ、停車駅はドアを開け、通過駅には止まってはならない。その縛りの中でネタを仕込むわけだ。
途中で降りる人、乗り込んでくる人、それぞれが取材のネタ作らねばならない。途中駅の人々はみな北海道のよさを知ってもらいたい、その願いでいくつもの仕掛けが作られていく。ほとんど観光客も来ない駅でも村の良さをアピールしたい、と大ざる一杯の魚介類が振舞われたり、馬や牛も集まった。
大勢の村人が歓迎してくれた。トラックでずっと併走して大漁旗を振る人もいた。2泊3日そんな旅が続いた。でも、スタッフは大変だった。最少のスタッフで行く先々のネタを仕込んでいく。地元の人々との交流があちこちであった。スタッフには印象深い旅になったのだろう。
このスタッフの中にアルバイトの学生がいた。その学生は、次の年の就職が決まっていた。一部上場企業だった。彼は放送が終わると突然言い出した。

「テレビって面白いですね」

そして「試験を受けたいのですが」とまで言い出した。もう試験は終わっていた。
それに上場企業のメーカーの内定までもらっている。もちろん、そこに入ったほうが良いのでは? と勧めた。だが、彼の決心は変わらなかった。内定を辞退しアルバイトを続け次の年、試験を受けた。合格はしなかったが、彼は人生の進路を変えることは無かった。

「面白そうだ」

その直感だけで人生を変える人がいた。無謀だったのかもしれない。だが彼の意思は固かった。後は自分の力でのし上がっていくしかない。
当時から就職先としての放送局を目指す人は一杯いた。だが、それは働くテレビマンの一部でしかない。そして採用枠は多くない。それは昔から変わっていない。
この頃はまだ「面白そうだ」という一言で集まってくる人々がいた。そして、それを評価する人もこの業界にはいたということだろう。
テレビなる幻想、それは幻想でしかないかもしれない。だがそれは、今、その幻想を評価する人がいなくなってしまったのではないか? ということかもしれない。それがなくなっては「幻想を持つ人々」が集まってくるはずもない。それを感じ始めているから幻想を求める人々は今、別の媒体に行っているようにも思える。
テレビの業界に人が集まらないのではなく、集める力が落ちたのだ。「幻想を初めから認めようとしない力」ばかりが強くなっている。そして現実は、面白がる力のある人を発掘するより、ヒエラルキーばかり作ることに汲々としているような気もする。
面白がる力が弱っては、テレビが面白くなるはずがない。一途な人間を探す、その力を復活させる、それが必要なのだろう。
 
【あわせて読みたい】