<分かってない出演者は誰?>「さんまのお笑い向上委員会」が体現する「笑いの様式美」

テレビ

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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この人たちは、ちょっと疲れたくらいの方が面白い。
新人の芸人を迎えて、その芸の向上を図るというのが設定のフジテレビ「さんまのお笑い向上委員会」。司会の明石家さんまの前にひな壇。ひな壇には前列下手(テレビに向かって左)から今田耕司、太田光(爆笑問題)、堀内健(ネプチューン)、土田晃之、児嶋一哉(アンジャッシュ)。後列には秋山竜次(ロバート)、飯尾和樹・やす(ずん)、澤部佑(ハライチ)が並ぶ。
一回目はこれら先輩芸人のギャグの出し合いで終始した。それなりにおもしろいが、ジャズのセッションで言えば「A列車で行こう」をやっているのに、アドリブのメロディばかりが出てきて、本来のメロディが聞こえてこない状態だった。
井上陽水を聞きに行ったのに、知らない曲ばかりやる状態。あるいは中学生の物理の授業で相対性理論の授業が行われている状態とでも言おうか。
それが今回、メンバーたちが「ちょっと疲れて」きて、笑いのレベルが素人でも笑える、つまり視聴者も笑える状態になったように思う。これはめでたい。よかったと本当に思う。この状態に、筆者は笑いの様式美を見た。
基本は「フリと、こなしと、受け」である。ひな壇の出演者は皆これがわかっているから、さんまのフリに気持ちよく呼応して笑いを繰り出す。全部前に出てはダメなのだが、疲れたこともあってか、「引く芸」をやる余力が出ていた。笑いがかぶらないので、見る方には、笑いしろ(笑う時間)が与えられる。
この笑いの様式をわかっていないのが2人いた。
久代萌美(フジテレビアナウンサー)と、ようやく登場させてもらった芸人「流れ星」のボケ担当・ちゅうえいである。ちゅうえいの方はわかっていないと言うより、緊張で忘れてしまったと言うことだろうか。
様式をわかっていない人が居た場合、わかっていないことをネタにいじり倒すのが、さんまさんの芸だが、これは、相手がいじりたい人かどうかにかかってくる。
性格が素直な人がいじりやすい。あの中で唯一笑いを取らなくてもいいのが、久代アナだが、笑いを取らなくてもいいと言うことをわかっていないとこれは成立しない。まだ、八木亜希子アナのように、さんまさんがそこまでわかっているという信用感を持っていないのだろう。少しもいじらなかった。
2回目にして様式ができあがったのは、それぞれの芸人がたちどころにどういう方向にするか理解したからだ。だから、ちゅうえいは、いくら一発ギャグをやっても誰も笑わない。それをフォローに来る、ずんの飯尾のギャグは、多少面白くなくても全員笑う。しかも飯尾のギャグは、ギャグ自体のおもしろさではなく、間で笑わせる芸なので、笑う時点がきちんとわかっていて見やすい。
こうなると、ちゅうえいの方は、フリのギャグだから誰も笑わない。客が入っていたとしても、先輩芸人たちが客席の雰囲気を支配してしまうから、多少面白くても客も笑わないだろう。
こうなった時に、ちゅうえいの役目は耳を澄ますことである。見てから動いたのでは遅い。耳で聞いて瞬間的に反応する。芸人は運動神経が良くないといけない。
流れ星は、さんまさんの「2人とも駆けて」にきちんと反応しなければいけない。「駆けろいうとるやろ」という、フォローで笑いを取ってもらうのは芸人として恥ずかしい。ついでに言うと、久代アナは基本的に駆けてはいけない。駆けてもいい時があるのだが、そんな高度なギャグはまだ覚える必要はない。
ところで、この笑いの様式美は、見続けると鼻について全く笑えなくなる時がある。その様式をきっちり破戒する笑いも用意されていた。ずっと黙っていたロバートの秋山が、壊れたのである。今回、最も筆者が笑ったのは、この壊れた秋山の姿だった。
このメンバーでやり続けるなら、「来週は一回見るのを休んでもいいな」と思ったが、そうはいかない。さりげなくスタジオでスタンバイするキャイーンの天野とウドの姿が映ったのである。これが、次週予告の理想である。ディレクターの編集センスはすばらしい。
ところで、筆者はウド鈴木の大ファンなのである。
本気で笑えるのは、他にはジミー大西、エスパー伊東、村上ショージ。笑いの様式の外にある人ばかりなのは、職業病だろう。
 
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