<テレビ視聴者激減のXデーはいつ?>「若者のテレビ離れ」とはテレビ側の願望にすぎない


藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

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「テレビの視聴率」を論ずることが「意味」を失っている。

もちろん、視聴率(すなわち、テレビの影響力と価値を示す指標)が持つ役割は、まだまだ大きい。しかし、その一方で、これからその影響力と価値がますます減少してゆくことは想像に難くない。

テレビ番組間の視聴率競争は今後もあるはずだ。むしろ、細かい単位・より正確な手法によってその競争は激化するように思う。しかしその競争も、影響力と価値が減少させてゆく「テレビ」という枠組の中での話にすぎない。メディア全体の中でのテレビの地盤沈下は避けられないからだ。

これは「テレビの質的低下」という自傷行為が要因というよりは、テレビ以外の多様な選択肢が様々に登場することによる相対的な地盤地沈下という側面が強い。唯一だったメディアの選択肢が多様化したことで、テレビが原寸大で評価されるようになり、結果、相対的な競争力を失っている、と表現した方が正確なのかもしれない。

よって、近い将来、テレビの視聴率を議論することは、「アナログレコードで音楽聴いている人は、ジャズが多いか? ブルースが多いか?」ぐらいの状態になるのではないか。そもそもアナログレコード自体の市場が小さくなっているのである。

そのような状況の中で、若い層を中心に「テレビを見ない」「テレビを持っていない」という層も急激に増えている。その是非はさておき、少なくともテレビの主たる視聴者層は確実に中高年へと偏っている。

そうなると、テレビを見る人(テレビを持っている人)が、ある段階を境にガクンと壊滅的に下がる日がくるはずだ。しかも、この「Xデー」は、急激且つ一気に訪れる。

現在のテレビは、ポスト団塊の世代(60歳前後)以上の層がその視聴を支えている。しかし、強固なテレビ世代であったはずの40代・50代も最近ではにわかに「テレビ離れ」を起こしていると言われる。それ以下の世代になると、ますますテレビへの接触機会は低下する。

30代ぐらいからは、テレビ以外のメディア接触が激増し、20代ではテレビへの信仰心が急速に失われている。10代以下では、テレビとネットのメディア価値の格差は更に縮まっているか、すでに逆転している。

若者層がテレビに接触しない要因は、コンテンツの質や内容の問題というよりは、ライフスタイルの問題である。テレビを見る、というライフスタイルが生活の中に存在している、していないか、の違いだ。

例えば、ニコニコ動画/ニコニコ生放送にコメントを書き込んでいるアクティブなユーザーの圧倒的多数が、公式発表されている視聴者分布とは異なり、中学生を中心とした10代であると言われている。

人気Youtuberのヒカキン氏のイベントに集まる客は圧倒的に小学生が多いという。これに対して、購買力・消費力を持たない小学生ばかりが客であり、Youtuberヒカキン氏の収益性や経済性に疑問を呈するような論調が話題になったこともあるぐらいだ。

なるほど、たしかに消費力の弱い「子どもたち」にいかに支持されていようとも、すぐにはビジネスにつながらないという事実はあろう。

しかし、一方で、この「ヒカキンに集まってきた小学生たち」や「ニコ生に積極的にコメントを書き込む中学生たち」は、ネット動画やネットコンテンツに対して先入観がない。テレビとの格差を感じていない世代だ。

やがて彼ら・彼女らも大人になるわけで、早ければ数年後には、ネット動画をネイティブで受け入れてきた層として社会人になってゆくわけである。

もちろん、彼ら・彼女らのテレビ接触は相対的に高くなりようがないはずだから、ますます社会全体のテレビへの接触率すなわち影響力は低下することが避けられない。

団塊の世代の消滅に逆行するように急増するネット・ネイティブ世代の顕在化による「テレビ視聴者激減のXデー」は、この15年前後(あるいはもう少し早く)には訪れるような気がしている。

そう考えると、「若者のテレビ離れ」という言葉は(筆者も便宜的に使っている言葉ではあるが)、いささかの違和感も感じている。

なぜなら、「テレビ離れ」とは、それまでテレビを見ていた層が、スマホやネットのような他のメディアやデバイスへ移行してしまったような状態を指すからだ。しかし、それはテレビを囲んでいる現状とは必ずしも合致しない。

現在テレビを見ている中高年層がテレビを見なくなり始めれば、それは間違いなく「テレビ離れ」であろうが、そうではない。ポスト団塊の世代以上は未だに主要なテレビ視聴者としてテレビ文化を支えている。

しかし、団塊ジュニア以下の世代はけっしてそうではない。圧倒的にテレビを見ていない。見ていない、というよりも「テレビに関心がない」。これはコンテンツの質や内容の問題では説明がつかない。

つまり、団塊ジュニア以下の世代にとっては、「テレビから離れている」のではなく、そもそも「テレビが存在しなくても成立するライフスタイル」で生きているからだ。

その意味では、筆者には「テレビ離れ」というコピーとは、むしろ「テレビの側の願望」なのではないか、と思えてならない。

「テレビ離れ」とはこれまで「テレビのあった生活」を知っていることを前提としている。しかし、今の若者層は「テレビ離れ」をしているのではなく、「テレビ体験」が希薄か、世代によっては「ない」のである。これでは「離れ」ようもないし、「戻ってくる」こともない。

それでも、テレビは「テレビから離れてしまった若者を引き戻そう」と主張し、画策する。これは希望や願望から来る「大きな錯覚」であり「絶望の中の希望」であるように見えてしまう。

初めから今日の若年層は、テレビの視聴者ではないのだ。少なくとも、2000年代に生まれた若者たち(若者予備軍たち)にとっては、確実にそうだろう。

もちろん、テレビ番組の新しい作り手や発想、テレビのユニークで魅力的な利活用は今後も生み出されるだろうし、それが生み出されれば、「これまでに以上に面白いテレビ」も生まれるだろう。

それでも、それが「テレビ経験を持たない層がテレビ視聴者に変化するきっかけ」にはならない。例えば、ジャズや民謡の世界でも、日々、さまざまな新しく革命的な若い才能が登場している。その業界の歴史を塗り替えるような新しい才能がカンフル剤となって、業界を盛り上げることもあろう。

しかし、残念ながら、そのジャズや民謡の新しい才能によって、売り上げ不振に悩むCDの現状が回復することはない。ましてや、アナログレコードやターンテーブルが爆発に売れ始めたり、音楽配信の売り上げは後退し始めるような現象になることもないだろう。

テレビが置かれている状況もそれ同じであるように思う。

それではテレビは「Xデー」を座して待つしかないのであろうか? 筆者は決してそうとは限らないと考えている。許認可業として守られたテレビ産業である限り、まだまだ巨大な資本を有し、ある種の特権的な機能が、減少しているとはいえ「次の一手、二手」を打つぐらいには十分に残されているからだ。

もちろん、その「次の手」を打つ時期を逸してしまえば元も子もないが、おそらく、そのチャンスはいくらでもあるだろう。しかし、その方法というものが、今のテレビからは出て来づらい構造になっているように思われることが最大のボトルネックだ。

テレビには何が求められているのだろうか? と問われれば、それは間違いなく「これまでにないテレビの使い方」しかない。

果たしてそれをテレビは、自らそれを生み出すことができるのだろうか?
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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『だからデザイナーは炎上する(中央公論新社)』『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。