<テレビ局のコンプライアンスに異議>ブログもFacebookもTwitterも監視され沈黙するテレビマンたち

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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今日の「出る杭は打たれる、だから出ないようにしなさい」という、テレビ局のコンプライアンス姿勢は違うと思う。
「無事これ名馬だよ、きみ」という、テレビ局のコンプライアンス姿勢は違うと思う。
「物言えば唇寒しと、言うからね」という、テレビ局のコンプライアンス姿勢は違うと思う。
そもそも、コンプライアンスとはどういう意味か。企業コンプライアンス(regulatory compliance)に限って言えば、コーポレートガバナンス(企業統治)の基本原理の一つで、企業が法律や内規などのごく基本的なルールに従って活動することである。
「コンプライアンス」は「企業が法律に従うこと」に限られない「遵守」「応諾」「従順」などを意味する語だ。なおRegulatory complianceは直訳すると「規制追従」という意味になる。
法治国家であるから、法律を守るのは当然として、テレビ局のコンライアンス(以下テレビ屋風に「コンプラ」と略称する)は、上記の「追従」に傾きすぎているのではないか。
大体、ジャーナリストとか、クリエイターという職種が所属するテレビ局は、他人の心に時には土足で踏み込んでいくのが仕事だ。
「何ですか」「なぜですか」「どこですか」「誰ですか」「いつですか」「どのようにですか」・・・こういう質問をもりもりと掲げて被害者・加害者・被災者・病者・政治家・企業家・暴力団に警察官、自衛官に消防官、外国・要人・芸能人、一般市民・老若男女ありとあらゆる人から、あるときは興味に任せて話を引き出すのが仕事だ。
そういう仕事をしておきながら、それに反して、テレビ局自体は自分のことをしゃべらない。広報としてしゃべるのは自社番組や自社イベントの宣伝ばかり。だからHPは恐ろしくつまらない。
「CMまたぎ」とか言う、スポンサーには大変失礼な新語を発明してCMを軽んじているのに、自分のところは宣伝ばかりだ。「CMまたぎ」は「猫またぎ」。CMは猫にも跨がれる厄介者扱いだ。
他人に根掘り葉掘りモノを聞くのが仕事のテレビマン。国民の誰に付託されたわけでもないのに権力の監視役として自らを任ずるテレビ局のジャーナリスト。(テレビ局員が法を犯すと大々的に報道されるのはこれが理由だ)
だからこそテレビマンは、進んで自らを語る必要があると筆者は考える。ところが自らを語る必要がある人が所属するテレビ局の上層部は、彼ら社員に流行のコンプラを金科玉条にして「沈黙」を命じるので、彼らは何も発言をしなくなってしまった。
テレビマンたちはブログもFacebookもTwitterも徹底的に監視されて、余計なことを言うなと叱られる。
はたから見ると、テレビ局はビクビクしているように思える。叱られたり、もめたりすることがめんどくさいから、発言したいと思っている勇気あるテレビマンも尻込みしてしまう。
番組の企画を立てるに当たっても企画のおもしろさよりコンプラが上位になる。つまり、番組企画は「コンプラはおもしろさに優先する」ことになってしまっている。
元来、ジャーナリストやクリエイターは、表現の自由を最大限に利用すべき独立した存在であり、テレビ局の上層部はその独立を守るべき立場にあってこそ価値があると、筆者は思うのである。
 
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