<五輪エンブレム取り下げはネット世論の圧力?>「『ネットの声』は現実の世論ではない」を論ずることの無意味さ


藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)]

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インターネットユーザーによる言論的な活動や情報発信によって作られる、いわゆる「ネット世論」。これまで、ネット世論と「現実の世論」には大きな乖離があると言われてきた。

例えば、ネット調査と他の社会調査ではその結果が大きく異なること。選挙時におけるネット支持率と現実の得票数の違いなどだ。

もちろん、ネットの声がそのまま現実を反映していないことは言うまもでない。ネット世論の盛り上がりが「局部的で先鋭的に頑張る一部のネット民たち」によって担われている一面的な活動であることは周知だ。

しかしながら、インターネットとそのコミュニティが「STAP細胞問題」における論文の不正や剽窃を探し出し、その検証と告発が、研究の見直しにまで至らせた。現在騒動となっている「五輪エンブレム盗用問題」が盛り上がり、白紙撤回にまで至った要因に、ネット世論(とその活動家)が果たした役割は大きい。

その一方で、一部の熱心なネットユーザーの主張にすぎない「ネットの声」を、大手メディアが「世論」として取り上げ、過剰に評価することを危険視する見方もある。

例えば評論家・古谷経衡氏は、

「問題はこのような一部の熱心なユーザーの『狂騒』を既存の大手マスメディアが取り上げ、大々的に報道することにある。(中略)一部から始まった狂騒がメディアによって『世論』の中に放り込まれ、いつの間にかそれが世論になっていく状態は、「扇動」(中略)熱心なユーザーの『狂騒』を伝えるメディアは、このことに自覚的に成るべきだ。」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150903-00049142/)

と述べている。しかし筆者は、このように危険性を指摘しつつも「ネットの声はマトモなモノがない」と印象づけるだけのオピニオンには、「論ずることの無意味さ」を感じる。

一見、ネットの炎上文化とそれに追従する大手メディアへの警鐘のように読める古谷氏の文章も、実は「大手メディアはネットの声を相手にするな」と主張しているだけでしかない。これではまったく建設的ではない。

重要なことは、「ネット世論と現実の乖離」があろうが、なかろうが(それが事実であれ)今日、ネットからの様々な情報発信に端を発し、大手メディアや社会全体が突き動かされ、一種の世論を形成する、という流れが確実に存在しているという現実だ。

理屈や理想ではなく、現実としてネットの声と活動が現実の世論に大きな影響を与えていることは間違いない。

一部の意見とは理解しつつも、ネットで騒がれた情報がテレビや新聞といった大手メディアで取り上げられる理由も単純だ。単に、情報源をインターネットに依存する時代になった、というだけの話だ。

私たちと同様に、マスコミの情報源も現在では多くがネットからだ。これまでテレビや新聞、雑誌などでしか入手できなかった様々な情報が、ネットで手軽に、そして十分に入手できるようになっている。もちろん、新聞、雑誌、場合によってはテレビでさえ、ネット上に同じ情報を掲載している。

メディアの接触時間として、ネットの割合が飛躍的に増加している。ただそれだけのことなのだ。ネットの接触時間が多いから、「ネットからの情報」がマスコミも含めた多くの人の目に入っているだけだ。インターネット時代の今日、情報源の多くがネットになっているということは現実であり、それを批判してもしょうがないのだ。

世論形成には、その情報の「確からしさ」などはあまり重要ではない(その是非はさておき)。接触時間の長いメディアにある「目に付く情報」が、マスコミに取り上げられ、世論形成を牽引する。それはこれまでテレビや新聞といったメディアでも担われてきたことだ。それがネットへとシフトしつつある、ということにすぎない。

そもそもネットの声をリアルな世論として扱っているような大手メディアは、筆者が知る限りあまり思い当たらない。むしろ「ネットの声」とネット民を「一部の先鋭的な狂騒」と捉えるのではなく、一定の精度をもった「社会の触覚」として観察・参考にした方が時代に則しているように思う。そして、多くの既存メディアもそうやってインターネットと付き合っているはずだ。

「ネット世論と現実の乖離が、どーの、こーの」という議論は、五輪エンブレム問題の周辺で起きている「プロから見ればパクリではない、あーだー、こーだ」という専門的なデザイン技巧の議論と似ている。多くの人にとっては、オリンピックというトピックの中では、およそ興味も関心もないことだ。関心はもっと現実的なことにある。

ネット世論がどんな形であれ、現実社会に実際的な影響を及ぼしていること。五輪エンブレム騒動でいえば、実際の不正を指摘し、検証し、そこから実際の「白紙撤回」という決定にまで至らせた事実。

私たちにとっての「事実」はそれだけであって、その周辺で「あーだ、こーだ」「どーの、こーの」と論じる局部的な議論こそ、「狂騒」でしかないように思う。

例えば、五輪エンブレムが取り下げられた発端やエビデンスは「ネット」である。しかし、それが取り下げられ、白紙撤回にまで至った理由は、「疑惑や騒動が起きたこと自体、オリンピックにふさわしくない」と考えた国民が多かっただけであるはずだ。その感覚に「一部の熱心なネットユーザー」の意思はあまり関係ないように思う。

 

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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『だからデザイナーは炎上する(中央公論新社)』『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。