[茂木健一郎]SEALDs奥田愛基氏へに送られた「誹謗中傷ツイート」にある見逃せない「論点」


茂木健一郎[脳科学者]

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SEALDsの中心メンバーである奥田愛基さんとそのお父上の奥田知志さんに心ない中傷が寄せられているようだ。

あげくの果ての「殺害予告」。単なる不法行為である。ツイッター上で調子に乗って揶揄したり誹謗したりしている人たちも、結果として加担している。卑劣だ。

奥田知志さんについて、「週刊新潮」の記事がきわめて偏った、一方的だった。新潮社が好きだし、週刊新潮に知り合いもいるだけに残念。奥田さんは無私の人で、ホームレスの方々の支援を長年続けてこられた。あの記事は、そんな奥田さんに対する侮辱だった。

奥田愛基さんに寄せられたさまざまな誹謗中傷のツイートのいくつかを見たが、その中に見逃せない「論点」があったので、そのことについて書く。

奥田さんが(当然のことだが)警察に相談したことに対して「個別的自衛権で十分じゃなかったのか」みたいなことを書いている人がいた。

国家の中の個人が、自分の生命や財産を守ることと、国家が警察などの治安維持のための仕組みを持つことの関係は、国際社会において各国家が自衛することと、集団的自衛権の仕組みを持つことの関係と果たして同等だろうか?

私は、重大な差異があると考える。

そもそも、国家はどうして必要なのか? ホッブズ「リヴァイアサン」の社会契約論によれば、自然状態では「万人の万人に対する闘争」(bellum omnium contra omnes)になってしまうため、個人の権利を一部制約しても、国家というシステムを作るのである。

社会契約によって出来た国家を「リヴァイアサン」という聖書の中の怪物にたとえたのは、ホッブズの慧眼であった。まさに、主権国家はリヴァイアサンとして振る舞っており、大量破壊兵器の使用など、事実上好き勝手なことを繰り返しては、その責任を逃れ続けている。

国際法上、国家の主権を制限する法理は存在するが、それは極めて限られている。現実の国際社会は、地球という「超国家」の下に各国家が「個人」として存在するような状態にはなく、むしろホッブズの言う「万人の万人に対する闘争」に近い状態にある。

そのような状態での「集団的自衛権」はどうなるか?

核兵器を含むさまざまな兵器を持った国家同士が対峙する地球は、個人が権利を譲り渡して国家をつくった「リヴァイアサン」の状態よりは、むしろ、ならず者たちが実力で向き合う無法状態の方に近い。そんな中での「集団的自衛権」は、結局、どのならず者の集団に加わるか、ということに近い。

アメリカは、かつて「世界の警察官」を自認し、今でもその残滓があるが、アメリカが「紛争解決」のためにやってきたことを冷静に見れば、そこにはほとんど無制限の国家という「リヴァイアサン」の暴力があるだけだ。ベトナムでも、イラクでも、アメリカは平和の名のもとに破壊を繰り返してきた。

戦争は、結局、国家という「リヴァイアサン」の好き勝手な行為、に近く、大量の兵器が消費され、それを製造して販売する人たち=「死の商人」が儲かる。タリバンやアルカイダ、ISISを生み出す遠因にもなる。結局、国家による「警察行為」は、平和を生み出すどころか暴力の連鎖をもたらすだけだ。

国際社会における「集団的自衛権」が、もし国家の中の警察行為に近いものならば、大いに結構だし、称賛されるべきだろう。しかし、その内実は、未だ怪物として核兵器を含むさまざまな破壊装置を持つ国家による好き勝手な行為に近く、目的と手段のバランスが異常に悪いと言わざるを得ない。

国際連合の本質は、第二次世界大戦の戦勝国連合である。戦勝国は、残念ながら、国家のリヴァイアサン性を反省する必然性に乏しい。原爆を投下しながら、未だに国家としては反省の言葉を述べていないアメリカはその象徴だ。集団的自衛権は、結局、警察よりは、反省のない怪物の中に加わることに等しい。

憲法9条は、その成立の過程こそ異例なものだったが、国家のリヴァイアサン性に対する嫌悪、反省に基づいた、人類史上画期的なものだった。戦後の日本が、世界各地で続けられてきた大量破壊、市民の犠牲、新たな暴力の連鎖に関与しなかったことは、誇りであり、日本の国家的アイデンティティだった。

結局、「集団的自衛権」の美名の下に行われる活動の実態は、国家の中の警察行為とは、かけ離れた、むき出しの暴力であることが現実に多かったし、これからもおそらくそうだろう。私は、日本がそのような、ならず者連合に加わることが、国家としての利益に資するとは考えない。だから反対する。

しかも、今後は、人工知能を応用した、きわめて高度な兵器が登場し、核兵器以上の脅威をもたらす可能性が高い。人類が絶滅する存在論的危機が、現実のものになろうとしている。第二次大戦の戦勝国連合(特にアメリカ、中国、ロシア)は、国家の持つそのような危険に対する反省が皆無に近い。

このような時代に、日本が「普通の国家」、すなわち、国家主権の発動としての戦争行為を無反省にやる戦勝国連合に加わることは、人類全体の損失である。日本は、むしろ、国家のリヴァイアサン性の発動としての戦争行為に加担せず、対話や仲介を通した平和構築にこそ、貢献すべきであろう。

日本は、今、重大な岐路に立たされている。安保法案の「成立」(ほんとうに成立したかどうかは、議論の余地があるが)によって、すでにY字路を曲がったようにも見えるが、まだ引き返すことはできる。

日本の選択は、以上のような理由で、人類史的意義を持つと、私は考えるのである。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。