<「1億総活躍社会」は意味不明ではない>「1億総活躍社会」を批判する野党は人気番組「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」も批判するの?

政治経済

藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]
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第3次安倍改造内閣の発足に伴い、安倍晋三首相が掲げた「1億総活躍社会」というフレーズを「意味不明」と野党が批判している。また、社民党・吉田忠智党首は「1億総活躍社会」を「戦前の1億総動員」を想起させるとして批判する。
与野党間の政策論争や思想の違いはあって当然であるし、利用する言葉や概念などを批判したり反駁することも当然だ。しかし、「1億総活躍社会は意味不明」として批判することが政権批判になると感じている野党の知性・感性には、さすがに見ている方が恥ずかしくなる。
「1億総活躍社会」が理解できないという指摘・批判が、単なる「揚げ足取り」ではなく、本心からであるとすれば、むしろを「そう思う人」の知性の方こそ理解できない。
「1億総活躍社会」とは文字どおり、「1億(≒全国民)が・活躍できる・社会」という意味だ。誰だってわかる簡単な表現だろう。もちろん、日本の人口は約1億2500万人であるから、「1億=総人口」という表現はアバウトで正確ではない。しかし、一般的に巨大な数、あるいは日本における「おおよその総人口」として慣例的に利用している表現である。これは常識の範囲ではないか。
事実、「すべての日本人」を表現するために「1億」を使うことは珍しくない。例えば、日本テレビの人気番組「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」などもそうだ。この「1億人」が「全国民」を意味していることは誰にでもわかる。
もし、「1億総活躍社会」を「意味不明・理解できない」と本心から批判しているのであれば、それは、単にその人に常識的な知識がないだけだ。あるいは、キャッチコピーや標語、語呂合わせのような「ノリやリズム」を重視するものであっても、ミリ単位、1ケタ単位まで正確に数値を合わせなければ気が済まない「ちょっとめんどくさい人」「ノリの悪いつまらない人」ということだ。そんな庶民感覚を持っていないような「つまらない人」に政治家になって欲しくない。
「『1億総活躍社会』は『戦前の1億総動員』を想起させる」といった批判に関しては、もはや「因縁をつけている」としかも思えない。すれ違いざまに肩がぶつかったり、視線があっただけで「喧嘩売ってるのか!」と恫喝するのと同じだ。
評論家・大宅壮一の造語「1億総白痴化」(1950年代)や、1970年代を象徴する「1億総中流」など、「1億」を冠した造語・標語は多い。いずれも時代を象徴し、歴史に残る名造語・名フレーズばかりだ。
「1億総活躍社会」が「戦前の1億総動員」を想起させるネガティブな印象のフレーズであるならば、「1億総白痴化」も「1億総中流」もすべてネガティブで戦争的な表現なのか? 社民党・吉田忠智氏は、上記を「戦争を想起させる暴力的な言葉」として、ちゃんと批判しているのか?
社民党や民主党に限らず、野党は自らの役割を自覚し、正々堂々と安倍政権に対して論争を挑んだり、異議申し立てをし、政策を戦わせるべきだ。国民が期待していることは、そういった正常なやりとりだ。政権奪取だけを考えて、瑣末な「揚げ足取り」に邁進することが野党の任務ではあるまい。
安倍政権の是非、野党の是非はさておき、このような「つまらぬ揚げ足取り」などは、ほとんどの国民が望んでいない、ということを「1億総活躍社会」を批判する野党政治家たちは肝に銘じるべきだろう。
このようなことがニュースになること自体、野党が野党としての役割を果たせていない証明なのかもしれない。
 
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