<なぜ北川悦吏子ファンの演出家は多いのか?>シナリオライター志望者は脚本家・北川悦吏子の文体をマネてはいけない

テレビ

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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ドラマ制作者たちが「北川悦吏子の脚本のト書きは実に優れている」と言うので実際に読んでみた。
大体、脚本というのは読み物としては、大変読みにくいものである。舞台の脚本はまだ読みやすい。動きが、舞台設定がわかりやすし、上手下手出入りがあるからだ。ニール・サイモンや井上ひさしにいたっては「舞台より脚本の方が面白いのではないか?」とさえ思ったほどだ。
それに比べて、映画やテレビ、映像の脚本は読みにくい。その理由は後に述べる。
筆者がこれまで脚本自体を読んで面白いと思ったのは「仁義なき戦い」の笠原和夫、「岸辺のアルバム」の山田太一、「あ・うん」の向田邦子、「俺たちの旅」の鎌田敏夫、「ウチのホンカン」の倉本聰ぐらいである。
では、北川悦吏子はどうなのだろうか。
CBC制作の「三つの月」(TBS)のシナリオが載っていたため、脚本の月刊誌「ドラマ」(映人社)2015年10月号を買ってみた。この雑誌は、シナリオ・ライター志望の人などが読むものであり、雑誌として成り立っているのは志望の人が結構いるからかもしれない。北川悦吏子はこれらの人々にとってあこがれ以上の脚本家なのであろう。
筆者は既に当該のドラマを見ている。これから脚本冒頭部分を引用するが、既にドラマを見ている人は、一旦、映像を頭の中から消し去って、脚本のみに注力して欲しい。筆者もその方法で脚本を読んだ。余計な情報を排除するために配役は書かない。実際の脚本は縦書き。横書きは雰囲気が違うが慣れの問題。
[以下引用]

1. 難しい楽譜
を、スッと睨むように見ている繭。 
このドラマのヒロイン。
ピアノの前に座って。
フッと息を吸うと。
ふわりと手を上げて。
優雅に弾くのかと思うと、たどたどしい。
すぐにやめて。
また、最初から、一生懸命、楽譜を見ながら、弾き始める。
ドビュッシーのアラベスク。
ゆっくり。
どうにか、メロディになっている。
つまずく。
ン?という顔。
 少し前に戻って、ひく。
やはり、つまずく。
 
そこで、初めて声。
秋風「あの……」
繭、えっと、そちらの方を見る。
知らないうちに、音楽室の中に、男が来ていた。
ピアノに夢中で気がつかなかった)
わりと、近くまで。
秋風「あの、それ、ここ」
と、間違った、左手を教えてやる。
繭 「あ、レ(かなにか)」
と、正しいキーを叩く。
繭 「なるほど」
秋風「(じゃっかん、笑顔)」

[以上、引用]
筆者が読んで最初に思ったことは、「ああ、これは、役者も演出家も楽だろうなあ」ということ。役者はそのままを演じ、演出家はそのままを撮れば良いようにト書きが書いてある。ということだ。北川悦吏子ファンの演出家も多いというのが頷ける。
ではここで配役を書いておこう。繭は原田知世、秋風は谷原章介である。それが分かった上でもう一度もどって、脚本を読んでみて下さい。ほら、画が、より具体的に浮かびましたよね。
しかも、この「ト書き」は、小説で言えばきちんと文体になっている。すばらしい。小説では文体は、より地の文に表れるものだ。小説家はこの文体を使って自由に情景描写という名の心理描写を重ねたり、神の視点から、登場人物の性格を書いたりできるが、脚本家はそれを行わない。いや、俳優や演出家の範疇だとして書かないのが暗黙のお約束である。
そのために脚本は非常に読みにくいのである。通常、俳優や演出家はせめて1話は全部読まないと、登場人物の性格が把握できないはずだ。
ところがこの北川脚本ではト書きに従って、従順に演じていけば、登場人物の性格に自然に導かれていくように書いてある。すごい。撮影に金はかかっても頭のシーンから順番に(順撮り)したいと思う脚本になっている。
北川悦吏子は俳優の写真をデスクの目の前に貼って執筆するそうだ。いわゆる当て書きが出来るのである。
ところで以下の「ト書き」を読んでほしい。

1.粗末な演台
に立ち、満面の笑みの坂上。
このコントのボケ。
坂上「それでは早速先生をお迎えしましょう」
人を招く。
ふわりと手を上げて。
反対方向から萩本。
走ってくる。
1メートル跳ぶ。
右足で背中を蹴る。
この動作 、すべて同時に。
坂上転がる。
3回転以上。

    すべて一瞬の出来ごと。

 
そこで、初めて声。
萩本 「こっちから出てくることとだってありそうなもんじゃないか。やり直し」
萩本、当然の様子で去る。

これはコント55号の名作コント「机」。筆者による「北川悦吏子ト書きもどき」である。どうだろうか?
シナリオライター志望の人は、この北川ト書き文体を決して、真似してはいけない。真似して書くと文体模写のパロディになってしまうからである。ト書きだけで、内容を見てもらえない恐れがある。
 
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