[茂木健一郎]<創造的な人は一回性の「出会い」で創られる>大学の国際化、ランキングや順位などは人間の成長を考える設定として粗すぎる


茂木健一郎[脳科学者]

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世界の見え方、というか「重心の置き方」は変わる。

しばらく前に、私は、日本の教育の改革の問題に関心があって「Times Higher Education」にエッセイを寄稿したりもした。しかし、 今は、ちょっと違うことを考えている。

このところ考えていることは、そもそも学校の制度をどうするかという問題は、政策論としては意味があっても、一人ひとりの人間としては、議論として「粗い」のではないかということ。「良い」学校に行った人がみな「良き人」になるわけではないし、「良い」学校に行かないと「良き人」になれないわけでもない。

今、仮に、創造的な仕事をできる人を育むという目標をつくったとしよう。すると、そのような人が出来上がるまでの道筋、要素の出会い方を冷静に見ると、そこには、どんな学校を用意するか、カリキュラムをつくるかという問題では記述されない一回性、個別性の事情が関与していることがわかる。

科学、技術、芸術、ビジネス・・・どんな分野でも、創造的な仕事をする人、なしえている人の人生の軌跡は、個別的、一回性の「出会い」によってつくられている。そして、そのような出会いは、往々にして、二度と繰り返さない。そもそも、時代の変化によって、「出会い」が持つ意味合いも変化してしまう。

ある時代には意味のある「出会い」も、少し下った時代においても意味があるとは限らない。坂本龍馬にとって、「黒船」との出会いは重要な意味を持ったが、今の青年がアメリカの船を見ても、同じ意味は持たないだろう。本居宣長が賀茂真淵に出会った「松坂の一夜」に当たるものは、人によって違う。

ある時代には、オリジナリティの高い仕事につながる出会いでも、次の時代には陳腐化することもある。時代と、社会の組成は水物であり、二度と同じ位相には至らない。

結局、それぞれの時代を生きる子どもたちは、一回性の出会いを通して、自らの人生の構築をしていくしかない。

一回性の出会いを通して人生を構築していくという命題を考える時に、学校の制度やカリキュラムからアプローチするのは不十分である。もちろん、それは無関係ではない。しかし、十分でもない。むしろ、一人ひとりの人生に寄り添い、詳細にそれを見てみなければ、その育成の本質は見えてこない。

以上のような理由で、大学の国際化とか、ランキングの順位とか、それは政策論としては重要かもしれないが、一人ひとりの人間の成長という問題を考える上では、設定として粗すぎる、と私は感じている。むしろ、一人ひとりの個別の出会いのダイナミクスにこそ、興味があるようになった。

私自身もまだ成長しているし、そのために自分にどのような出会いを配剤したらいいのかと思う。今学び中の学生にも、どんな学校に行っているかという粗い話ではなくて、自分の出会いを個別性と一回性の視点から見つめる、そんな細かい視点を持って欲しいと思う。

そんな目を育む教育は良い教育だろう。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。