[茂木健一郎]<国家はフィクションだ>政治家が「国」の名の下に生活実態を弄ぶことは許される?


茂木健一郎[脳科学者]

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国家というのはフィクションである。

すべてのフィクションは同じように、人間の思考や行動を支配し、リアリティにすらなる。だから、フィクションであるからといって軽視してはいけない。

そして国家がフィクションであることも忘れてはいけない。

二つの「国」があって、それがもともとは一つの「国」であることを確認したとする。この場合の「国」とは、本来の意味のフィクションであろう。二つの「国」は政体が異なる。一つは一党独裁。一つは議会制民主主義。一つの「国」ではない。

政治家というものは、もちろん、私人としての領域があり、そこでは生活したり、食べたり呑んだりしている。ところが「職業政治家」は、何しろ、国家後生大事で、国がないと自分の仕事がなくなるんだから、国というものを事大主義にとらえる。

一党独裁の巨大な大陸国家にも、政治とは関係なく日常生活を営んでいる人たちがいる。彼らは自分の子女の将来に心をつかい、お金に余裕がある人は、米国や英国に留学させたりする。彼らにとって、国の政治とは「邪魔されなけばよい」というのが本音だろう。

一方、議会制民主主義と政権交代が定着した島の国に住む人たちは、バランスの良い資本主義の経済の下で発展し、島の外との行き来も自由である。彼らにとって、大陸の一党独裁国家と自分たちの「国」が一つの「国」だというフィクションには、イデオロギー以上の意味は見出し得ないであろう。

一党独裁の大陸国家のトップが、議会制民主主義の島国のトップと会って、今は別々にやっているけど、もともとは一つの「国」であるということを確認することには、フィクションとしての国家の作用の中でも最も薄いイデオロギーしか見いだせないだろう。

一党独裁の権力闘争の中で上り詰めた者にせよ、民主主義の選挙の下に選出された者にせよ、多数の人々の膨大で多様な生活実態を「国」という名の下に弄ぶのが許容されるというのは随分質の悪いフィクションだと思う。

そういう「政治家の遊び」につきあうことが21世紀にふさわしいのか僕にはわからない。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。