「パリ・テロ事件」すべての奪われた命に等しく手を合わせる想像力を


榛葉健[ テレビプロデューサー/ドキュメンタリー映画監督]

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フランス・パリで起きたテロ事件では、129人の犠牲者(11月14日現在)への哀悼の気持ちが、日本でも広がっています。理不尽にいのちを奪われた人たちは、殺される理由など全く無かった。

そうした方々に祈りを捧げるのは、人として自然な心の発露だと思います。その上で、もう少し踏み込んで考えたいと思います。フランスを含む先進国=「有志連合」軍などが、これまで長きにわたって、中東地域に空爆や攻撃をしてきたことで、巻き添えとなった多くの市民の犠牲者に対して、私たちはどれだけ同じように祈りを捧げてきたでしょうか?

いつも思うのですが、欧米先進国で多くの人命に関わる事件や事故が起きれば、新聞でもテレビでも連日大きく採り上げられます。一方で東南アジアや中東、アフリカなど発展途上国で起きた出来事は、相対的に記事が小さく扱われます。

現地に十分な取材網が整っているか、記者が現場に辿り着くまでの時間の差など、記事の量に違いが生まれる理由は幾つかありますが、そもそも落差の原因になっているのは、途上国の人命に対する軽視=差別感情が、先進国のメディアや人々の中に、潜在的にあることだと私は考えます。

2004年に、インド洋で巨大地震と大津波(スマトラ沖地震)が起きた時、数万人規模の犠牲が出ることが予想されながら、初動のニュースは、速報も無く、わずか30秒程度の「その他ニュース」の扱いでした。(その後判明した犠牲者数は22万人以上)。

2002年、アフガニスタンでは、結婚式の参列者が伝統に則りライフル銃で祝砲を打ち上げた際、米軍が攻撃を受けたと勘違いして、上空から攻撃して結婚式に出席していた女性や子どもたちを含む48人が殺された事件がありました。今年には同じアフガニスタンで、国境なき医師団の病院が空爆を受けて、医師や患者など22人の命が奪われました。

そのたびに米軍などは、「誤爆」などという軽い言葉で話を済ませようとしますが、殺された市民の側からすれば、たまったものではありません。

これらだけでなく、パレスチナやイラク、シリアなどでは、市民が殺される事案が延々繰り返されています。本来は、戦争中でも軍隊は武器を持たない市民に攻撃してはいけない国際法(1949年のジュネーブ諸条約と1977年のジュネーブ条約追加議定書ⅠとⅡなど)があるのに、全く守られていません。

人の命の重さは、同じだと言うのに、どこかで私たち先進国の人々は、途上国の人々のいのちを軽んじてはいないか?そして、先進国に偏重している情報量に、いつしか、私たち皆の思考が流されてはいないか?

決してテロ行為を擁護するつもりはないのですが、私は、すべての奪われたいのちに、等しく手を合わせる想像力を持つことが大切だと思うのです。

 

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榛葉 健

榛葉健(しば・たけし) テレビプロデューサー、ドキュメンタリー映画監督 1963年東京生まれ。1987年、在阪民放局入社。さまざまなジャンルで幅広くドキュメンタリーを制作し、日本テレビ技術協会賞、坂田記念ジャーナリズム賞などを受賞。世界最高峰チョモランマの取材では、登山家たちが放置する大量のゴミを世界のテレビで初めて告発。1995年以降、阪神・淡路大震災関連のドキュメンタリー14本を制作。そのうち『with…若き女性美術作家の生涯』は、「日本賞・ユニセフ賞」「アジアテレビ賞」など数々の国際賞を受賞。東日本大震災の発生後は、私費で宮城県南三陸町や気仙沼市などに通い続け、映画「うたごころ」シリーズを制作。全国の劇場をはじめ各地で上映の輪が広がっている。