<膳場貴子氏・岸井成格氏「NEWS23」降板>何が自由な言論やジャーナリズムを弱体化させるのか?


榛葉健[ テレビプロデューサー/ドキュメンタリー映画監督]

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TBS系列の夜の看板ニュース番組「NEWS23」の膳場貴子キャスター、岸井成格アンカーが3月25日に退任。その最後の挨拶から、静かな、そして熱い想いが伝わってきた。

<膳場貴子氏>

「私がこの番組に加わったのは、2006年。当時は筑紫哲也さんがアンカーでした。それからあっという間の9年半。リーマンショックに見舞われ、人口減少の時代を迎え、東日本大震災、原発事故を経験し…と、変化の時代を生きている実感を持ちながらの毎日でした。そんな中、様々な立場からの考えや、健全な批判精神を大切に考えて、皆様に未来を考える材料を提供できたらと取り組んでまいりましたが、いかがでしたでしょうか? 少しでも『NEWS23』が、お役に立てていたら、こんなに嬉しいことはありません」

<岸井成格

「私は3年間、アンカーを務めてまいりましたが、今、世界も日本も、歴史的な激動期に入りました。そんな中で、新しい秩序や枠組み作りの模索が続いています。それだけに報道は、変化に敏感であると同時に、極端な見方に偏らないで、世の中の人間の良識や常識を基本とする。そして何よりも真実を伝える。権力を監視する。そういうジャーナリズムの姿勢を貫くことが、ますます重要になっていると感じます」

膳場さんが、「NEWS23」のキャスターになって間もない頃、筆者は大阪で一緒に番組を作る機会があった。

阪神・淡路大震災や全国的に知られる事件など、関西の大変な取材を少なからず経験してきた身として、NHKの「プロジェクトX」など花形番組の司会者から移ってきた彼女に、少し炊きつけるように話をした。

「大阪には、ひどい格差や差別が見える、社会のるつぼのような場所があります。関東にもありますから、『NEWS23』のキャスターになるなら、そういう厳しい現場にも出てほしい」

すると彼女は、笑いながら、

「嫌だぁ~」

と返してきた。「ああ、この人は、華やかなスタジオに身を置いて、汚れるような取材を避ける人なんだ」と正直がっかりしたのを覚えている。

でも、それから9年半。膳場さんは、素晴らしいキャスターになっていた。特に東日本大震災では、恐らくTBSのキャスター陣の中では、最も多く東北の沿岸部に足を運び、厳しい現場から伝えた人ではなかったか。

きつい、汚い、つらい取材を、堂々とされている姿をテレビ越しに拝見して、「場」や「経験」が人を本気にさせると感じた。きっと、そういう厳しい現場で出逢った多くの人との関わり合いが、彼女の心にたくさんの影響をもたらしたのだろうと想像する。

膳場さんの『NEWS23』での最後の挨拶を、改めてかみ締める。

「皆様に、未来を考える材料を提供できたら・・・」

考え抜かれた、節度ある美しい言葉だった。そして、涙など一切見せずに、気品のある笑顔で締めくくった。

思えば近年は、インターネット上などで、

「だから、今のマスコミはダメなんだ」

といった厳しいメディア批判がよく聞かれる時代になった。

それらは正論の部分もある。しかし一方で、メディアの存在自体を「全否定」するような粗っぽい言説は、良心に基づいて様々な出来事を伝える多くの記者やジャーナリストたちの姿勢をも否定し、結果として、自由な言論やジャーナリズム活動を弱体化させ、民主主義社会を後退させることにつながる。

そうした世論の空気を一番喜ぶのは誰か? を、私たちは考える必要があるとも思う。むしろバランス感覚の優れたジャーナリストたちに対して、多くの人からどんどんエールが送られてくれば、民主的な言論を守る力になるはずだ。

膳場さんと岸井さん。ジャーナリズムの本流からぶれることの無かったお二人に、放送界の一員として、そして視聴者の一人として、敬意と感謝の気持ちをお伝えしたい。有難うございました。そして持ち場が変わっても、伝え続けて下さい。

 

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榛葉 健

榛葉健(しば・たけし) テレビプロデューサー、ドキュメンタリー映画監督 1963年東京生まれ。1987年、在阪民放局入社。さまざまなジャンルで幅広くドキュメンタリーを制作し、日本テレビ技術協会賞、坂田記念ジャーナリズム賞などを受賞。世界最高峰チョモランマの取材では、登山家たちが放置する大量のゴミを世界のテレビで初めて告発。1995年以降、阪神・淡路大震災関連のドキュメンタリー14本を制作。そのうち『with…若き女性美術作家の生涯』は、「日本賞・ユニセフ賞」「アジアテレビ賞」など数々の国際賞を受賞。東日本大震災の発生後は、私費で宮城県南三陸町や気仙沼市などに通い続け、映画「うたごころ」シリーズを制作。全国の劇場をはじめ各地で上映の輪が広がっている。