メディアが「報道」ではなく「広報」になった国は必ず衰退する[茂木健一郎]


茂木健一郎[脳科学者]

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一般論だが、「報道」と「広報」は違う。たとえば、ある国で、政府発表だけを報じるメディアがあったら、それは「報道機関」ではなく、「広報機関」である。

「報道」という名に値するためには、政府の公式発表とは異なる視点、独自の取材、検証、分析がなければならない。

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そして、成熟した民主主義国では、当然のことながら、メディアは「広報」ではなく、「報道」でなければならない。

資本主義においては、「市場」が機能することが大切である。政府の公式発表は、その市場における事実、見解の一部分にすぎない。だから、市場のメカニズムを理解する者は、政府の公式発表とは別の、報道独自の事実の掘り起こしや分析があることを期待する。

メディアが「報道」ではなく、「広報」になった国は、短期的には政府にとって居心地がいいだろうが、中長期的に見れば、必ず衰退する。

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なぜならば、社会の中でのイノベーションの基礎となる、思想市場における競争がなくなってしまうからだ。

以上のことは、小学生でもわかる常識だと思う。世界のどの国でも、ましてやこの日本においては、以上の常識から外れるような動き、「報道」が「広報」に成り下がるような動きが起こることはないと信じているし、これからも信じたい。

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。