<ノンフィクションの種:茶髪がテーマで視聴率17%の時代>茶髪になるということは社会に反抗することだった

テレビ

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]

 
テレビ番組の「当たりネタ」はどこにあるのだろう?ということは作り手ならばいつも考えていることだ。
だが、これが難しい。どうしたら面白く作れるかと、内容のことばかり考えていると、結果的には誰も関心のないことを必死に考えることになったりする。逆に関心のあることばかり探していると、それはもう見たよという事になる。
二番煎じならまだしも、三番煎じ、四番煎じだ。誰もが知っていることや、行った事がある場所、それは確かに皆が関心のあることかもしれない。しかし、そこで誰も知らない新情報などというものは要求するほうが無茶だ。
ではどうしたら良いのか。話題になっていること、それの周辺にいつもネタを探すようにしていた。大上段にネタを探すのではなく、話題になっているものの周辺で探す、意外に周辺にはネタがある。
茶髪というものがまだ珍しいころだ、高校生だったら夏休み、大学生だったら就職活動の直前まで茶髪になるのがせいぜいという時代のことだ。おしゃれというより、必要なのは気合といったほうが良い、まだまだ茶髪になるには決断が必要な時期だった。
テレビを見ていると大蔵省の査察官が家宅捜索に入るシーンが出ていた。そこに茶髪の査察官がいた。筆者はこれは番組になると直感的に思った。
多くの人が関心を持っていた。なりたい人も、眉をひそめる人も、何がしかの関心を持っていた。茶髪になるだけである種のレッテルをつけたがる人たちがあり、逆にレッテルをつけられることに反発する人たちもいる。
いろいろな茶髪の人々を取材した。職場に茶髪で行くのは一種の覚悟がいる茶髪の人々を取材するということはある種の気概を持っている人々を取材することでもあった。
青森の高校生たちを取材した。茶髪に興味を持っている人たちが集まり真剣に討論をした。そこに大人たちも参加する。茶髪の何が良いのか、悪いのか、そんな話からまだ早い、大学生になったらやれと言う大人もいた。青森の若者が茶髪にしたい気持ちがひしひしと伝わってきた。
茶髪になりたいというのは流行の最先端に触れたい、という純粋な気持ちだ。彼らは茶髪のことを考えるだけで想像が湧き上がっていく。それは単に髪のことだけにはとどまらず、どんどん膨らんでいき、新しい文化に触れたくなるのだ。
もう我慢が出来なくなる。東京へ行こう、ということになった。まだ新幹線はなかった。もうこれ以上過敏になることはないというほど過敏になった男4人組が東京に向かった。
初めて見る東京は彼らには十分刺激的だった。高速道路の上から見るライトアップされた東京タワーはそれだけでテレビでしか見ることが出来ない世界だった。原宿も渋谷も経験したことのない世界だった。
もちろん、全員が茶髪になったわけではない。たぶんそれはどうでも良いことだったのだろう。18歳の夏休み、今まで経験したことのなかった新しい文化を彼らは精一杯経験した。そして青森に戻り夏休みが終わるとき全員が黒い髪に戻っていた。
これを最後に15年も続いた「そこが知りたい」という番組は終了する。だが、茶髪がテーマの、その回の視聴率は17%で、お祝いのコロッケパーティが開かれた。
 
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