<裁判官はステマである>政治活動が禁じられる裁判官にも主義主張はあるのに、それを隠して中立を演じている違和感


高橋維新[弁護士]

 

裁判所法には、裁判官について次のように記されている。

 

第五十二条 (政治運動等の禁止)  裁判官は、在任中、左の行為をすることができない。

一 国会若しくは地方公共団体の議会の議員となり、又は積極的に政治運動をすること。

二 最高裁判所の許可のある場合を除いて、報酬のある他の職務に従事すること。

三 商業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務を行うこと。

 

一読して分かる通り、日本の裁判官には、政治運動の自由がない。これは、政治運動を行って、その裁判官が一定の政治的立場に立っていることが外部に表明されると、裁判の中立に対する国民の信頼を損なうからだという説明がされる。

死刑廃止運動を行っている裁判官が死刑か無期懲役かが微妙な事案を担当し、無期懲役の判決を出したら、通常の判断基準を離れて、自分の思想信条から「思い切った」判断をしてしまったのではと疑われるのではないか、というような話である。

ところがこれは日本の話であって、全ての国がこうなっているわけではない。

アメリカでは、州ごとに裁判官の任用のシステムは異なるが、まだ裁判官が議員のように選挙で選ばれる州がある。立候補者たちは、議員のように選挙活動をする。その選挙活動を通じて、自らの政治的立場を表明していく。

翻って考えてみれば、日本においても、裁判官は政治的な思想や信条を持つこと自体が禁止されているわけではない。これを禁止してしまえば、普通の法律家の感覚からすると、日本国憲法19条による「思想信条の自由の保障」に反することになってしまう。

日本の裁判官には、右翼もいれば左翼もいるし、自民党支持者もいれば共産党支持者もいるし、安楽死に賛成の人もいれば反対の人もいる。日本の法体系は、この思想信条を「隠せ」と言っているに過ぎない。政治的な主義主張を持つことは自由だが、それを外部に表明する「政治運動」が禁止されているだけなのである。

このシステムの問題点は、裁判官の政治的な主義主張が隠されてしまうことで、その影響の度合いが分からなくなることである。先ほどの例を再び考えてみる。死刑が無期懲役かが微妙な事例で、担当した裁判官が無期懲役という判断を下したとする。仮にこの裁判官が死刑反対という政治的信条を持っており、その信条を貫く目的で無期懲役の判決を下したとしても、そういった事情は外部からは分かりにくい。

逆に、アメリカの「選挙で選ばれる裁判官」なら、この点が分かりやすい。死刑に反対の裁判官ならその政治的信条を貫いたのだろうという想像がつくし、賛成の裁判官ならいろいろなことを考えて無期懲役にしたのだろうという当たりがつけられる。むしろこっちの方が分かりやすいし健全だというのも、一つのあり得る考え方である。

よって、日本の裁判官のシステムにある問題は、ステマ(テルスマーケティング:Stealth Marketing)の問題と一緒である。

ステマでは、広告であることが隠されて「広告」がなされる。例えばある番組がある商品を紹介したとする。その番組は、広告であることを隠して、あくまで中立の立場を装いながらその商品の良い点を喧伝するため、広告であることを明確にして商品が紹介されるよりも、正確性が高いと思われやすい。信用されやすいのである。

日本でも、ステマが問題視され、タレントによる悪質(!)なステマが叩かれることも珍しくない。やはり本来の目的を隠されてなされる「作戦」は騙された気もするし、やっぱりどこか気持ちが悪い。

よって、裁判官であっても「実際には中立ではないのにそのことを隠蔽して中立を装われるよりは、むしろ自らの主義主張をオープンにしてくれた方が分かりやすい」と思う国民は思いのほか多いのではないだろうか。

 

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高橋維新(たかはし・いしん)弁護士、コラム二スト。1987年、東京生まれ。2006年、東京大学法学部入学。2010年より「マヒ郎」のペンネームでファミ通町内会へ「ハガキ職人」として投稿を始める。現役ハガキ職人を続けながら、2012年に司法試験合格。2013年、弁護士登録(函館弁護士会)。ファミ通町内会長(第5代)。