<「笑点」に異変?>司会の昇太に欠けている「歌丸の様式美」

テレビ

高橋維新[弁護士/コラムニスト]
***
毎週「笑点」(日本テレビ)を見ていると、ここ最近の「笑点」には異変が起きていることに気づく。
先週(2016年11月27日放映回)と今週(2016年12月4日放映回)に顕著に感じたが、メンバーによるアドリブの「不規則発言」が増えているのである。これは、春風亭昇太が司会になってきてから出てきた傾向である。
桂歌丸が司会の頃は、よく言えば手堅いが、悪く言えばパターンが決まりきっていた。歌丸が最後に司会をやった回(2016年5月22日放映回)の感想にも書いたことであるが、そのパターンの例を挙げると以下のようになる。

*小遊三がひどい下ネタを言ったら「少しケツから離れろよ」とツッコむ。

*好楽や木久扇や昇太の答えがスベったら座布団を取り上げてやってツッコミに変え、フォローする。

*円楽から「ハゲ」や「死にぞこない」とイジられたらキレ返して喧嘩をする。

*木久扇があまりに分かり易いボケを言おうとしてきたら、先に答えを言ってしまってつぶす。

*たい平がオネエキャラやふなっしーで暴れ出したらしばらく泳がせて様子を見る。

*山田がイジられたら、「そこまで言ったらひどいよ」といったん上げておいて、最終的には座布団をやって結局山田をオトす。

そしてこの決まりきったパターンは、歌丸の演技力にも支えられて、客席にはウケていた。他方で、型にハマり過ぎていてつまらないという意見があったのも確かである。
しかし筆者は、概ねこのパターンを肯定的に捉えていた。笑点の主な視聴者層は高齢者である。大喜利の答えにも分かりやすいものが求められるし、分かりやすいものの方がウケている(ような気がする)。そうなれば、大喜利の答え以外の部分のやりとりにおいても、ある程度のパターンがあった方が、高齢者には分かりやすく、笑いやすいのではないだろうか。
【参考】一人で全部を演じる「落語」は本当に面白いのか?
筆者も含めて、「若い人」はこのような決まりきった笑いを「レベルが低い」と忌避しがちであるが、そうやって見下すのも根拠のないことではないのだろうか。高齢者は「分かりやすい笑いが好き」という好みの問題でしかなくて、決してレベルや程度の高低の問題ではないのではないだろうか。
こう考えた筆者は、高齢者向けの分かりやすい笑いをなかなか思いつくことができない自分に多少の絶望をしたものである。
しかし、この絶望は払拭されつつある。冒頭に記したとおり、最近の笑点では歌丸時代のパターンがほとんど見られない。不規則発言が多く、アドリブでやりとりをするようになっている。今週の放映回では、三平が座布団をもらった答えに対して、木久扇が「大したことない」とぼやいてウケをとっていた。
おバカキャラに徹していた歌丸時代の木久扇であれば、このような毒のある発言は一切しなかった。また、お経を唱え始めたたい平に円楽と三平が乗っかるというやりとりも見られた。
そしてこのやりとりは、明らかに歌丸がやっていた「パターン」よりウケている(ような気がする)。もしかしたら、我々は、高齢者のことをナメていただけなのかもしれない。そうであれば、どんどんパターンにはまりきらない自由な笑いを見せていってやった方がいい。彼らに絶望するのも、早計というものである。
とはいえ、やっぱり昇太はもっと歌丸のような演技力を身に付けた方がいい。全体的に常にヘラヘラしながら対応しているので、緩急に乏しくなってしまう。歌丸がやっていたようなシリアスな芝居、本気でキレているような芝居ができるようになれば、もっと「アドリブ」の種類も増えていくはずである。
 
【あわせて読みたい】